中国の歴史

5分でわかる中国の官吏登用試験「科挙」歴史と影響をわかりやすく解説

6-4. 清王朝の近代化が遅れた原因には科挙制度があった

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アヘン戦争でイギリスに敗れても清王朝の近代化は、科挙制度の弊害で、旧守的な思考を持つ高級官僚(士大夫)によって近代化は阻まれます。先進的な考え方をする康有為などの改革派もいましたが、それでも抜本的な近代化につながりませんでした。旧守派の背後には西太后がおり、皇帝さえも改革をしようとすれば、邪魔をされ、廃帝に至ることもあったのです。そのため、改革はなかなか進みませんでした。

6-5.清王朝における科挙制度の廃止

清王朝で近代化の必要性が認識されたのは、20世紀に入ってからでした。その結果、ようやく20世紀に入って北進事変の後に科挙制度は廃止されました。2005年になってようやく科挙制度も廃止されたのです。しかし、もう遅すぎました。孫文などの知識人を中心に、革命が叫ばれ、結局1911年に辛亥革命が起こり、清王朝は崩壊したのです。

6-6. 現在の漢民族(中華民族)中心の政治でかつ共産主義一党独裁では科挙制度は必要なし

辛亥革命後には、中国政府は力が弱く、軍閥が割拠し、さらに共産党も台頭して権力争いをしており、さらに日本の大陸進出で、科挙制度をおこなう余裕がないままに日中戦争に突入しました。

共産党政権で中華人民共和国が成立すると、そこには共産主義に基づく政治がおこなわれたため、政治知識よりも共産党政権に対する忠誠心が重視されたのです。江青などの四人組と呼ばれた人々が力を持った文化大革命時代には、近代化を主張する人が自己批判させられ、時代に逆行する動きも見られました。そのため、未だに官僚として登用されるのは、各地の共産党からの推薦が重要な要素となっているのです。

7. 科挙制度はその使い方によって毒になるケースも多い

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科挙制度の欠点は、科挙試験を受かった人が、比べて国の人々に貢献しようとする間はよいものの、権力を得てしまうとその権力を守ろうとして人々の幸せよりも自分の利権を守ろうとしてしまうことです。そのために、中国の各王朝も滅んでいったのでした。現在の日本でも、上級公務員試験を通った高級官僚は、自分たちの利権守るための判断をしがちになっています。やはり、庶民のことを考えられる官僚を育てる仕組みが必要ですね。

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