三国時代・三国志中国の歴史

「泣いて馬謖を斬る」の由来とは?天才軍師が愛弟子を斬ったワケ

「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」という故事成語をご存知でしょうか。身内だから本当は斬りたくないけれど、命令を違えたならば斬り捨てなくてはならない…という内容です。この故事は、三国志に登場する名軍師・諸葛亮(しょかつりょう)と、彼が目をかけていた武将・馬謖(ばしょく)という2人の人物に関連するもの。彼らにいったい何があったのでしょうか?その由来をご紹介します。

「泣いて馬謖を斬る」の登場人物たち

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「泣いて馬謖を斬る」の意味は、どんなに愛する大事な者であっても、彼(彼女)が規律を犯し、大義に反するようなことをすれば、私情を捨て去って処分を下さねばならないということです。現代では、優秀な人物であっても、法律を曲げてまでその罪を不問に処してはならないという意味で使われることが多いですね。

では、本来の「泣いて馬謖を斬る」とは、どのようなストーリーだったのでしょうか。登場人物や時代背景をご紹介したいと思います。

そもそもどんな話だったのか

「泣いて馬謖を斬る」とは、諸葛亮が可愛がっていた馬謖という武将が戦いで命令違反を犯し、大敗の原因を作ってしまったことが発端です。その才能に惚れ込み、目をかけてきた諸葛亮でしたが、国の転覆にもつながりかねない大敗が馬謖の独断専行によるものだということが痛いほど分かっていたため、泣く泣く馬謖を処刑せざるを得なかった…という顛末でした。

では、この故事成語の登場人物をご紹介しましょう。

登場人物:三国志を代表する軍師・諸葛亮

「泣いて馬謖を斬る」の故事成語の主人公のひとりは、「三国志」のヒーロー・諸葛亮(しょかつりょう)です。魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が覇を争った中国の三国時代において、蜀の劉備(りゅうび)から「三顧の礼(さんこのれい)」をもって迎えられた天才軍師でした。彼が蜀陣営に加わったことで、劉備は一気に力をつけ、躍進していくこととなるのです。

そんな諸葛亮は、劉備の亡き後も蜀を支える大黒柱となりました。魏と戦う姿勢を明確にし、徹底的に抵抗しましたが、彼が陣没したことで蜀の滅亡は確定路線となり、三国志のドラマも終焉に向かうのです。三国志の影の主人公といってもいい存在だと思いますよ。

登場人物:諸葛亮に才能を愛された男・馬謖

馬謖は5人兄弟の末っ子でしたが、兄弟5人がみな優れていると評判だったそうです。

特に、同じく劉備に仕えた兄のひとりの馬良(ばりょう)は、特に優秀で、「白眉(はくび)」のモデルとなった人物。彼の眉には白い毛が混じっていたことから、優秀な人物を「白眉」と言うようになったのだそうですよ。

そんな兄・馬良を追うかのようにして劉備に仕えるようになった馬謖ですが、何を論じさせても目から鼻に抜けるような返しをする、才気煥発な男でした。特に軍略を議論することを好み、その聡明さは諸葛亮に愛されたそうです。

劉備は馬謖を信用していなかった

とはいえ、劉備は馬謖を全面的には信用していませんでした。臨終の際、劉備は諸葛亮に対して「馬謖は口先だけの男。信用してはならんぞ」と念押ししたほどだったのだそうです。

実はこの直前、呉との夷陵(いりょう)の戦いで蜀は手痛い敗戦を喫し、馬謖の兄・馬良も戦死していました。このことが劉備の心身に大ダメージを与え、死の床につかせてしまったという経緯があったんですよ。

劉備に心酔し、粉骨砕身して仕えてきた諸葛亮ですが、どうしたことか、「馬謖を信用し過ぎるな」という遺言だけは守ることはありませんでした。劉備が亡くなっても、諸葛亮は馬謖を重用し続けてしまったのです。

馬謖の才能を愛しすぎた諸葛亮

逸話ではありますが、馬謖の才能を諸葛亮が愛した理由がわからなくもないエピソードがあります。

南方を制圧するために派兵した蜀ですが、孟獲(もうかく)という武将が何度も反抗しては捕らえられるということがありました。

この時、諸葛亮は孟獲を捕らえても解放し、なんとそれを7回も続けたのだそうです。

これは「七縦七禽(しちちょうしちきん)」と呼ばれる逸話ですが、実は、馬謖の献言があったためだとされているんですよ。馬謖は諸葛亮に対し、「心を攻めるのが上策です」と進言していたんだそうです。

確かに、こんな話を聞くと、馬謖は才気煥発なんだなと感じますよね。

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