第一次世界大戦参戦によって日本の近代化が実現
image by iStockphoto
そのような時期に起こったのが第一次世界大戦でした。戦争そのものの戦場はヨーロッパでしたが、戦争当事者のドイツなどは、日本のあるアジアなどには植民地や租借地を持っていました。すでに、近代化を為し遂げていた日本は、これを大陸進出の絶好の機会として、ドイツなどの枢軸国側に対して宣戦布告をおこなったのです。
こちらの記事もおすすめ
日英同盟を根拠とした第一次世界大戦参戦の虚実
ドイツに対する宣戦布告の意味は、日本政府によると日英同盟を根拠にしており、三国協商(イギリス、フランス、ロシア)側に味方することでした。しかし、実際には日英同盟では、同盟国が戦争になった時には、中立を守ることになっていたため、同盟相手のイギリス自身がいぶかっていたのです。中国進出が遅れていたアメリカなどはなおさらで、両国は日本の大陸進出に対して警戒感を強く持っていました。そのため、第一次世界大戦後のパリ講和会議で日英同盟は破棄されています。
こちらの記事もおすすめ
日本の近代化の決め手になった「日英同盟」とは?わかりやすく解説 – Rinto~凛と~
ドイツの中国租借地の攻撃占領
image by iStockphoto
日本軍は、そのような米英の視線を気にせずにドイツの持っていた中国の租借地の山東半島の青島や、南太平洋の島々を攻略して占領したのです。南太平洋の島々は、第二次世界大戦では日本の租借地として海軍基地の航空隊基地となっていました。
こちらの記事もおすすめ
中国政府に対する21カ条の要求とそれに反発した中国政府
そして、日本は当時の中国政府の袁世凱政権に対して21カ条の要求を突きつけます。すなわち、日本が占領した青島などの占領地の割譲を要求したのです。さすがにこの要求には袁世凱の中国政府も反発します。群雄割拠で力がないとは言え、了承を与えれば、国内の各軍閥や共産党の反発は明らかです。そのため、日本軍による占領状態が続いていました。ちょうど、現代におけるクリミア半島をロシアが占領しているのと似ていますね。
第一次世界大戦後のヴェルサイユでの会議では民族自決は認められなかった
image by iStockphoto
第一次世界大戦は、結局イギリス、フランスなどの三国協商側の勝利に終わります(ロシアは革命によって途中離脱)。アメリカのウィルソン大統領は戦争中に民族自決(国のことはその民族自身が決める)を主張した十四ヵ条平和構想を発表していました。そのため、第一次世界大戦の講和会議がおこなわれたパリのヴェルサイユ宮殿(パリ講和会議)では世界の各植民地の独立の期待が高まったのです。しかし、会議では、戦争に勝ったイギリスなどの列強国は、実質的に独立していたエジプトなどを除いて独立を認めませんでした。
すなわち、民族自決に基づく植民地の独立は否決されたのです。
こちらの記事もおすすめ