中国の歴史

「春眠暁を覚えず」の意味ってご存知?~現代にも通ずる古代中国故事の世界10選~

普段なにげなく使っている言葉の中にも、実は意外と知られていない深い意味があって、それが古代中国から日本へ伝わってきた故事だった。ということがよくあります。「故事」とは、昔から伝えられてきた出来事や逸話を短くまとめ、人が生きていく上での戒めや教訓としたものです。だから「古事」とも書くのです。日本に大陸の優れた文化が伝わってきたとき、それらの故事の多くも日本へ入ってきました。しかし時代が経るにつれて大陸文化が日本流に改変されていった中にあっても、故事というものは意味を変えることなく現在でも使われているのです。現代に生きる我々にも相通ずる「優れた故事」の数々をご紹介していきましょう。

季節や天候やなど自然現象に基づいた故事

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まずは、自然現象に関する故事をご紹介していきますね。日本と中国では季節の移ろいが若干異なる部分もありますが、春夏秋冬といった四季ももちろん存在しており、季節感も日本と非常に似通った部分もあります。特徴ある日本の気候にも相通ずる故事の数々です。

♯1のどかな情景を愉しみ、ゆく春を惜しむ

【春眠暁を覚えず】

 

これは唐の詩人、孟浩然(もうこうぜん)が詠った漢詩「春暁(しゅんぎょう)」の一節のことです。原文は以下の通り。

 

春眠 暁を覚えず

処処 啼鳥を聞く

夜来 風雨の声

花落つること 知んぬ多少ぞ

(春の夜明けは暖かく、心地よい眠りで夜が明けたのも知らず寝過ごしてしまった。

ふと眼を覚ませばあちこちで小鳥の啼く声が聞こえる。

そういえば昨夜は風雨の音が激しかったが、あの嵐で庭の花はさぞたくさん散ったことだろう。)

 

暖かい春の朝は、それだけ心地良いということ。ですからどうも寝坊してしまいがち。なかなか目が覚めないものですよね。慌てて飛び起きた!なんて経験ありませんか?

♯2何か良くないことが起こる前触れかも?

【山雨来らんと欲して風楼に満つ】

(山から雨が降ってくる前に、強風が望楼いっぱいに吹き込んでくる。何か良くないことが起こる前兆のようだ。)

 

唐の終わり頃の詩人、許渾(きょこん)が詠んだ漢詩の一節。彼は唐の役人だった人物で、病弱のために免職され引退しますが、この時期の唐は「牛李の党争」をはじめとした政争が繰り広げられ、国内外にも不安を抱えていました。そんな国の行く末を憂いていた許渾は、このような詩を多く残しています。

♯3まさに芸術の秋!

【書冊秋に読むべく、詩句秋に捜すべし】

(読書は秋がふさわしく、詩を作るための語句も秋に探すのがふさわしい。)

 

これは南宋の学者でもあり詩人でもあった楊万里(ようばんり)が詠んだ詩で、いかにも学問が栄えていた南宋らしい表現だと思いますね。南宋といえば、元(モンゴル帝国)に圧迫されて最後には滅亡しますが、その優れた文化や思想が日本へと伝わり、鎌倉文化を支えたとされています。

ちなみに「読書の秋」の由来として、唐の詩人韓愈(かんゆ)が詠んだ詩の中で「燈火稍く親しむ可く(夜は灯火の明かりを借りてでも本を読むべきだ。)」という一節があり、ここから秋が読書にふさわしい季節だとされてきました。

しかし、この楊万里の詩の一節のほうがふさわしい気がするのは、筆者だけでしょうか。

♯4青い空に突如とどろく雷に驚くさま

【青天の霹靂(へきれき)】

(今まで晴れた青空が広がっていたはずなのに、雷が突然轟いたため驚いてしまった。)

 

この故事の由来になったのは、詩人であり役人でもあった陸游(りくゆう)ですね。先ほどの楊万里と同じ南宋の人で、楊万里らと共に南宋四大家に並び称せられています。

しかしこの人も本業の役人のほうではパッとせず、人からの反感や中傷などを買って郷里に引き込んだりもしていました。

ちなみに「青天の霹靂」の由来となったのは陸游自身そのものだったのです。彼の詩作「九月四日雞未鳴起作」には以下の一節がありますね。

 

「放翁病みて秋を過ぎ、忽ち起きて酔墨を作す。」

(陸游は重い病気になり、まだふらついて立てないし、思うように動けない。)

「正に久蟄の竜の如く、青天に霹靂を飛ばす。」

(しかし何を思ったのか、穴籠りしていた竜が飛び出して天に雷を放つが如く、突如飛び起きて筆を走らせたのだ。)

 

これは文筆家特有のインスピレーションによるものだと思われます。いくら病床に臥せっていても、常に書のことは考えていて、良き題材や書くべきことが思い浮かんだ時は、まさに病気すら忘れてしまうほど書に没頭してしまうということを表しているのでしょう。

♯5自分の将来を予測できなかった男

【一葉落ちて天下の秋を知る】

(落葉が早い桐の葉が一枚落ちるのを見て秋の訪れを知る。それと同じように些細な出来事からも、将来起こるべき何かを感じ取ることができるものだ。)

 

この故事が収められている思想書が前漢の頃に編纂された「淮南子(えなんし)」という書物で、実際に編纂を命じたのが劉安(りゅうあん)という皇族でした。しかし、景帝の頃に反乱を企て、その最期は自害に追い込まれ、一族ことごとく誅殺されてしまったとのこと。

「葉が一枚落ちるのを見て季節を知るが如く、将来のこともわかるはずだ。」と嘯いていた劉安も、自分の将来までは見通せなかったようですね。

人間の存在や行為に基づいた故事

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次に、人間そのものについての故事をご紹介します。人間とは弱く、愚かで、ずるい生き物。だからこそ清廉に生きなければならない。「故事」は現代に生きる私たちにも教訓を授け続けてくれていますね。

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