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「賽は投げられた」共和政ローマ期の軍人・カエサル(シーザー)とは?わかりやすく解説

「ブルータス、お前もか」「賽は投げられた」「来た、見た、勝った」などなど、数々の小説やお芝居などの中でたびたび引用されることも多いこれらのセリフ、どれも共和政ローマの政治家ユリウス・カエサルの言葉として知られています。カエサルは古代ローマ屈指の英雄であり、その名が現代にも伝わる著名人。どんな人物だったのか気になるところです。そこでこの記事では、英雄・カエサルをピックアップ。その生涯から人物像にしていきます。

一介の貴族から大将軍へ!カエサル波乱の生涯

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舞台は古代、紀元前の時代までさかのぼります。この時代に活躍した人物として、必ずと言っていいほど名前が挙がるのがユリウス・カエサル(英語読みでジュリアス・シーザー)。政治能力に長けた賢人である一方で、野心家でもあり女性にもよくモテたのだそうです。絶世の美女・クレオパトラとの関係も気になるところ。どこを切っても絵になる古代のヒーローはどのような生涯をおくったのでしょうか。

カエサル幼少期:揺れ動くローマを生き抜くには

ガイウス・ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)は紀元前100年頃、共和政ローマの貴族の家に生まれます。

一族は祖先に執政官など重要な役職を歴任した人物を多数持つ名門でしたが、決して裕福な部類ではなかったようです。

そのせいもあって、あれだけの英雄なのに、幼少期の記録はほとんど残っていません。

カエサルの少年時代、紀元前90年代のローマは戦乱期にあり、内政も非常に不安定な時代でした。

紀元前84年、父が亡くなり、カエサルは16歳にして家督を継ぎ、後継者となります。

翌年、貴族の娘コルネリアと結婚し、神祇官(じんぎかん)という高い職に就任。この職に就くにはある程度高い身分でなければならず、そのためにコルネリアと結婚した可能性もあるそうです。

それ以前に付き合っていた彼女と別れたとの噂もあり。10代にしてなかなかの野心家です。

カエサル青年期:亡命と帰還

このころのローマは、内部で派閥争いが絶えず続いていました。選挙による民衆政治を支持する党派と、元老院を中心とした政治体制を望む党派の対立が激化。その闘争にカエサルたちも巻き込まれていきます。

カエサルの親戚筋などは民衆政治派に近い存在でしたので、命を狙われることもありました。危険を感じたカエサルは紀元前81年、国外逃亡。ローマから亡命します。

3年ほど経過した頃、対立派閥のリーダーが亡くなるなど事態は沈静化。頃合いを見計らってカエサルはローマに戻ったと伝わっています。

カエサルは非常に弁の立つ、人々を引き付ける魅力を持った青年だったようです。

ローマに戻ってから、カエサルは腐敗した政治を正そうと奔走。不正を暴き、相手の地位や身分に関係なく、悪政の根幹となり得る政治家たちを追い出して信頼を勝ち取っていきます。このとき、カエサルの弁舌は大変役に立ったようです。

出世の階段を……野心を抱く軍人カエサル

紀元前73年、カエサルは軍団司令官となります。

一歩ずつ、出世の階段を上っていくカエサル。31歳で財務官の地位につきますが、この年、妻コルネリアがこの世を去ります。

妻が亡くなって間もなく、カエサルは再婚。相手はかつて自分の命を狙ったこともあった、敵対勢力のリーダーの孫娘です。再婚の理由は彼女がかなりの財産持ちであったため、と見られています。

紀元前63年、カエサルは37歳にして最高神祇官に立候補。対立候補に勝つため、カエサルはかなりのお金を使い、知り合いにも相当借金をしたようです。多額の借金の甲斐あって見事当選。カエサルは頂点を極めます。

成り上がり根性丸出しな感じも否めませんが……。人一倍野心の強いカエサル、中央政治で強い権力を握り、その手腕を発揮していきます。

紀元前61年、カエサルはヒスパニア・ウルステリオル属州総督に就任。ヒスパニアとは要するに現在のスペインのあるあたりのこと。当時ここはローマ帝国の属州となっていたのです。

ここでカエサルは、周辺の部族を攻撃してローマ傘下に入れることに成功。大きな功績を上げ、大金も手に入れます。

さらなる高みを目指すカエサル。その野心はとどまるところを知りません。

策士カエサル:三頭政治の始まり

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紀元前60年には、巨額の資金を元手に執政官に立候補。執政官とは事実上、政治のトップ職です。このときカエサルはある策を講じます。世にいう「三頭政治」です。

この頃、軍人で政治家でもあったポンペイウスという人物が、業績も人気もあり、執政官最有力候補と見られていました。カエサルとポンペイウスの関係は決して良好とは言えませんでしたが、カエサルは得意の弁舌でポンペイウスに接近。協力し合おうと提案します。

カエサルはさらに、大富豪のクラッススも仲間に引き入れ、3人体制に。争いあって疲弊するより、協力したほうが得策。お互いにウィンウィンの関係を保つことができます。元老院にも対抗できる強大な力を得ようとしたのです。

市民に人気の高いカエサル、数々の功績を積んだエリート軍人のポンペイウス、富を持つクラッスス。この3人を長とする三頭政治が始まりました。

三頭政治体制は、カエサルが執政官の任期を終えてガリア地区(現在のイタリア北部)の属州総督の職に就いてからも続きました。カエサルはここでも成果を上げ、ガリア地域全体の制圧に成功します。

しかし三頭政治はそれほど長くは続きませんでした。紀元前53年、クラッススが遠征先で戦死してしまうのです。

3人だからうまくバランスが取れていたものを、2人になるとうまくいかなくなるものなのかもしれません。クラッスス亡き後、カエサルとポンペイウスの間に、少しずつ距離ができてしまいます。ポンペイウスはそれまで敵対していた元老院メンバーたちと接近。カエサルとの溝は埋めることができなくなっていました。

盟友ポンペイウスと決裂・永遠の別れ

紀元前49年、カエサルはガリア地区との境にあるルビコン川近くで、ポンペイウス軍と激突。この時「賽は投げられた」と味方に(あるいは自分自身に)檄を飛ばしたと伝わっています。

ローマ軍同士の内戦は、激闘の末、カエサルに軍配があがりました。

紀元前48年、戦いに敗れたポンペイウスはエジプトへ逃亡します。

ポンペイウスはアレクサンドリアから上陸するつもりでしたが、エジプトはポンペイウスを上陸させず、なんと船の上で殺害してしまうのです。カエサルを恐れて、ポンペイウスをかくまいたくなかったのかもしれません。

ポンペイウスを追ってエジプトへ向かっていたカエサルが彼の死を知ったのは、その数日後だったといわれています。

どこの国にも、身内同士の争いというものはあるものです。エジプトでは、現ファラオのプトレマイオス13世とその姉のクレオパトラ7世による争いが起きていました。

エジプトにて:カエサルとクレオパトラ

クレオパトラ7世は「世界三大美女」と呼ばれるあの女性。クレオパトラはカエサルを味方に引き入れようと、絨毯にくるまって寝室に忍び込み、彼のハートをつかんだというエピソードが残されています。絶世の美女の猛アプローチにローマ帝国の常勝将軍もメロメロ……。だったかどうかわかりませんが、とにかくカエサルはクレオパトラに味方し、プトレマイオス13世の軍を打ち滅ぼします。

戦いに勝ったカエサルは、クレオパトラと、もう一人の弟のプトレマイオス14世の2人による共同統治を進言。すべて丸くおさめた上に、クレオパトラと結婚し、子供まで授かります。

エジプトに滞在してのんびり過ごしていたカエサル。しかし時代は英雄を休ませてはくれませんでした。カエサル不在のローマで不穏な動きがあるとの知らせが届きます。

紀元前47年、カエサルはエジプトを出発し、一路、ローマへ。帰路の途中で敵対勢力を次々打破。とある町からローマの部下宛に「来た、見た、勝った」と、短いながらも簡潔で状況がよくわかる手紙を送っています。そして紀元前46年、見事ローマ凱旋を果たしたのです。

この時の民衆のカエサル人気は相当なものだったと伝わっています。

凱旋後、カエサルはクレオパトラと息子のカエサリオンをローマに招待。まさに順風満帆といったところでしょうか。

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