大正日本の歴史明治昭和

日本資本主義の父「渋沢栄一」の理念と生涯についてわかりやすく解説!

トピックスその1株式会社ってそもそも何なの?

渋沢栄一が人生をかけて設立させた株式会社。

そもそも株式会社というとはなんなのでしょうか?

わかりやすく解説すると投資家からお金を集めてその資金で運営するという会社のことを指します。

日本ではほとんどの会社が株式会社となりましたが、株式会社の良いところは資金がなくてもある程度の運営ができるということ。自分の資産がなくても投資家からの支援を受ければ会社は成り立ちますから比較的ハードルが低い形で企業を作れることができます。

しかし株式会社は、社長のものではなく株主のものなので、簡単に買収されるデメリットもあります。

日本の名だたる企業を設立

渋沢栄一は大蔵省を退官した後、自身が進めていた国立銀行条例を推進するために国立第一銀行(のちのみずほ銀行)を設立。

これを皮切りに渋沢は数々の名だたる企業を設立させていくようになりました。

第一国立銀行を設立させた後、渋沢栄一は七十七国立銀行などの銀行の設立を助け、さらに東京瓦斯(東京ガス)、東京海上火災保険(東京海上日動火災保険)、王子製紙(日本製紙)田園都市株式会社(東京急行)、秩父鉄道、京阪電気鉄道、秩父セメント(太平洋セメント)、帝国ホテル、サッポロビール(サッポロホールディングス)、東洋紡績(東洋紡)などを設立。

日本人なら知らない人がいないような企業も設立させ、生涯でおよそ500以上の企業を設立させたと言われています。

しかし、渋沢栄一の理念の一つに利益をただ求めるのではなく、そこから人々の生活をよくしていくという考えがなければならないというものがあり、その理念通り渋沢栄一は作った会社をことごとく民間に売っぱらっていました。

渋沢栄一は晩年に笑いながら「わしがその気になれば三菱(日本の一大財閥)なんて軽く超えておったわ」と言うぐらい財界に影響力をもたらしていましたが、渋沢栄一のこの考えがあったからこそ今の日本の企業が栄えているきっかけとなっているのですね。

いろいろな事業に貢献

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渋沢栄一のもう一つすごいところが様々な公共事業の貢献。渋沢栄一は自分の著書の『論語と算盤』の中で道徳経済合一説というものを唱えていました。

渋沢栄一は経済というものは道徳の道に沿って行わなければならないとして自分が稼いできたお金を全て公共事業につぎ込んでいきました。

例えば実業教育が行われていない現状と聞くと森有礼とともに商法講習所(今の一橋大学)を創立したり、これからは女性教育だとし伊藤博文とともに日本女子大学などを創立。

また、日本人排斥の主張が高まっていく中で渋沢栄一は日本国際児童親善会を開き、アメリカの人形と日本の人形を交換するイベントを開いたり、関東大震災が起こった後は老齢でありながらも資金集めに奔走し、自分の邸宅を解放するなど人々がためになるような事業をたくさん手がけていました。

しかし、こんなに日本のために尽くしてきた渋沢栄一は1931年に死去。亡くなる前渋沢家にはほとんど財産は残されていなかったようです。

渋沢栄一の人生から経済というものを知ろう

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渋沢栄一はまさしく日本の経済の発展のために命をかけて尽くしてきた人物であり、一万円札にふさわしい人選だと私は思っています。

渋沢栄一がなくなった翌年には日本は満州事変を起こし戦争に突っ走っていくようになるなど日本は迷走していきましたが、渋沢栄一が一万円札の肖像画になった今だからこそ渋沢栄一の理念を学ばなければいけないと思いますね。

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