平安時代日本の歴史

日本の仏教宗派のきっかけ?【天台宗】をわかりやすく解説

「天台宗」と聞くと本山の「比叡山延暦寺」が頭に浮かびますよね。そこで「滋賀県にある大きなお寺のあるお寺の宗派」「千日回峰行をしているところ」「織田信長が焼き討ちしたところ」という人も多いかもしれません。天台宗は日本独自の宗派だと思われていますが、元は中国の天台宗の流れなんですよ。それで「日本天台宗」というのが本来の呼び方なのですね。そこで中国の天台宗と、みなさんご存知の日本の天台宗とその流れを書いていきましょう。

天台宗ってどんな宗派なの?

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不明 – 藝術新潮1974年 10号 増大特集日本の肖像画, パブリック・ドメイン, リンクによる

先ほども書きましたが、やはり天台宗を語るには大本の中国の天台宗を知ることが大事だと思いますので、ざっくりと紹介していきましょう。天台宗はお釈迦様が開かれた仏教がシルクロードを渡っていき、中国を発祥の大乗仏教の宗派のひとつです。「天台法華宗」とも呼ばれていますよ。なぜ「天台」なのかといいますと開祖の「天台大師・智顗」天台山に住んでいたという事からなんですね。

天台大師・智顗ってどんな人?

智顗は、中国の隋の第2代皇帝「煬帝」からの帰依を受け「天台山国清寺」「当陽玉泉寺」を建立して、天台宗をつくりました。しかし智顗は実質上の開祖で、本当の初祖は北斉の「慧文」・第2祖は南嶽「慧思」(515年-577年)で、慧思の弟子が智顗なのですね。

智顗は「鳩摩羅什(インドの僧)」が訳した『法華経』『摩訶般若波羅蜜経』『大智度論(摩訶般若波羅蜜経の100巻にもなる注釈書・仏教の辞典)』『涅槃経』を研究して『法華経』が最高の教えとしたのですね。『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の三大部と呼ばれる論をまとめて、それが天台宗の元となったのでした。

伝教大師・最澄という人ってどんな人?

12歳で出家・14歳で得度して最澄という名を受けました。東大寺で僧侶の国家資格である「具足戒」を受け前途洋々なところを突然 19歳のとき比叡山に登って庵を建てて天台三大部の研修生活をはじめます。法華経の講義を請われて開催することによって賞賛されることになったのですね。そのため延暦21年(802)「桓武天皇」から唐へ国費で仏教勉学(留学)の勅命を受けたのですよ。その遣唐船には真言宗の祖となる「弘法大師・空海」も一緒に乗っていました。

天台山天台の教えを受けて、禅法・大乗菩薩の戒法・密教も学んで延暦24年に帰国しますよ。翌年には天台宗として許されました。弘仁10年(819)に東大寺の小乗戒ではなく、比叡山に「大乗戒壇」建立しようと許可を朝廷に申請しますが、南都六宗の反対で許されなかったのですね。弘仁13年に亡くなると、その死後7日目に建立の勅許が来たというのですよ。気の毒ですよね。貞観8年(866)年に「伝教大師」の諡号を朝廷から贈られます。日本最初の大師号といわれていますよ。

法華経を中心として確立している中国天台宗と違って日本天台宗は、法華経を中心としながら禅・戒・念仏。密教も含んでいますね。そのために延暦寺は「四宗兼学」の道場・日本仏教の総合大学ともよばれていて、そこから鎌倉仏教の宗祖たちが生まれていくのですね。

比叡山延暦寺ってどんなお寺?

「延暦寺」は最澄が開いた日本天台宗の本山寺院です。滋賀県大津市坂本本町にあり、平成6年(1994)に1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受けて、古都・京都の文化財の一部として「ユネスコ世界文化遺産」に登録されました。

比叡山全域を境内とする寺院で「東塔」「西塔」「横川」というエリアに分かれていますよ。それぞれのエリアには「中堂」とよばれるお堂があります。平安京の北にあったので、奈良の「南都の興福寺」と並べて「北嶺(ほくれい)」ともいわれていましたよ。住職は「天台座主」と呼ばれています。世界中にある日本天台宗の末寺を統括していますよ。

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紫蘭