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イタイイタイ病とは?発生の背景と原因をわかりやすく解説

岐阜県の飛騨山地を水源とする神通川は、上流部の岐阜県内では宮川とよばれます。途中、いくつもの支流を集めて水量を増し富山県に入ると神通川と名を称されました。富山平野を貫流した神通川は富山湾へと注ぐ全長120キロメートルの河川です。人々に多くの恵みをもたらした河川ですが、悲惨な公害として知られるイタイイタイ病の発生地域となってしまいました。今回はイタイイタイ病についてわかりやすく解説します。

イタイイタイ病の背景

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イタイイタイ病が発生する前、神通川流域は豊かな農業・漁業生産の地域でした。のちにイタイイタイ病として知られる原因不明の奇病が神通川流域で発生するのは神岡鉱山の操業開始以後のことです。公害発生以前の神通川流域の様子や明治時代の鉱毒被害、神岡鉱山の歴史などについて整理しましょう。

公害発生前の神通川流域の環境

神通川はその名の通り「神が通る川」として住民に親しまれてきた川です。富山平野を貫流する神通川は水田稲作の重要な水源でした。江戸時代以降、地域の人々は神通川の本流・支流からの農業用水を引き田畑を潤してきたのです。

川は漁業にとっても重要な役割を果たします。上流の豊かな土壌が川の流れに運ばれて富山湾に流入。その結果、神通川が流れ込む富山湾は豊かな漁場となりました。サケ・マス・アユが多く取れる川で、昭和に入っても全国有数の漁獲量があったといわれます。

神通川の水は人々の暮らしと密接にかかわっていました。昭和の初めのころまでは、神通川の水を農業用水だけではなく飲み水・炊事・洗濯などに使用。川の水とともに生活が成り立っていたのです。

戦前の鉱毒被害

日露戦争後、日本は重工業を育てて工業国になることを目指しました。そのため、日本各地で鉱山開発が活発化。それにともなって鉱山から排出される廃液などによる「鉱毒」の被害が日本各地で発生します。

もっとも古い事件は足尾銅山鉱毒事件です。渡良瀬川上流の足尾銅山が鉱毒を垂れ流したことで発生し、被害は渡良瀬川流域に広範囲にわたって広がりました。代議士の田中正造が帝国議会で足尾銅山鉱毒事件を取り上げ、政府に対策を迫ったことが有名ですね。

このほかにも別子銅山の煤煙による煙害や群馬県安中の亜鉛精錬所の煤煙被害などは戦前から発生していました。神岡鉱山の廃液に含まれるカドミウムが原因のイタイイタイ病は大正時代には発生していましたが、原因が特定できず公害として正式に認定されるのは昭和43年まで待たなければなりません。

神岡鉱山の操業開始

神岡鉱山は岐阜県神岡町(現在は飛騨市の一部)にあった亜鉛・鉛などの鉱山です。記録によれば奈良時代から採掘がはじまったとされる歴史の古い鉱山。明治時代以後、三井組が経営権を取得し、大規模な採掘を実行。東洋一の規模を誇る鉱山へと成長させました。

神岡鉱山でとれる飛騨片麻岩には亜鉛や鉛・銀などが含まれていて、それらを取り出すことが目的の鉱山です。日露戦争やその後の戦争で亜鉛などの鉱産資源が大量に必要となったことから、神岡鉱山の生産量も年々増大。それにともなって、鉱山から排出される廃液も増えていきました。

廃液の中には重金属であるカドミウムが多く含まれています。このカドミウムがイタイイタイ病を引き起こしました。

イタイイタイ病の発生と原因

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神岡鉱山の生産量が増大し、神通川に流される鉱山廃液の量が増えると実り豊かな神通川の流域で異変が起きてきます。最初は農作物の生育不良などでした。しかし、被害は人体に及びます。カドミウムが原因だと特定されるまでは原因不明の奇病とされ、流域の人々におそれられ患者が差別されることもありました。イタイイタイ病の発生と原因についてみてみましょう。

イタイイタイ病の発生・被害・症状

明治時代の中頃、神通川流域の婦中町付近では農作物の生育不良が目立つようになりました。大正時代に入ると、神通川流域で全身が激しく痛む原因不明の奇病が出現します。一度かかると二度と治らない奇病として流域の人々は恐れました。

イタイイタイ病の名は患者があまりの痛みに「イタイ、イタイ」と泣き叫ぶことに由来します。この病気を発病するのは地域に長く住む35歳以上の中高年女性が中心でした。イタイイタイ病は肩・腰・ひざの痛みから始まり、やがて骨折を繰り返すのが特徴です。

ついには躓きや転倒でも骨折するようになり寝たきりになりました。そうなると、寝返りをうったり咳をしたり笑ったりするだけでも骨が折れてしまいます。患者は激しい痛みを訴えながら死に至るという恐ろしい病気でした。

イタイイタイ病の原因究明

最初、イタイイタイ病の原因は全くわかりません。大正時代には前世の悪行の報いで苦しむ病気である業病とさえいわれ、一部の地域にのみ流行する奇病とされました。富山県内でも昭和30年代まではイタイイタイ病の存在を知らない人が多かったといいます。

神通川流域の住民を苦しめる謎の病気は「イタイイタイ病」として新聞で紹介され、原因究明がはかられました。最初はイタイイタイ病の原因を過労や栄養失調ではないかと疑います。それが違うとなると、神岡鉱山から流出する「鉱毒」が原因ではないかとの説が出されました。

中でも最も疑わしいとされたのが鉱山廃液に含まれるカドミウムです。1961年、熊野村の医師だった荻野昇は神岡鉱山の廃液に含まれるカドミウムこそ原因だと発表。国や県も独自に研究を重ねます。

そして、1968年厚生省はイタイイタイ病の原因は神岡鉱山から排出されるカドミウムであると断定しました。ようやっと、原因が認められイタイイタイ病は日本の公害病第一号となったのです。

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