ヨーロッパの歴史

欧州を近代社会に導いた「ウェストファリア条約」とは?わかりやすく解説

絶対王政体制の成立と自由主義の台頭

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しかし、プロテスタントの勝利によって、国家主権が認められただけでなく、人々には自由主義に対する渇望が生まれるようになったのです。ウエストファリア条約以降、それがすぐに表面化したのはイギリスでした。清教徒革命(ピューリタン革命)、無血革命などによって議会が成立し、国王の権力は大幅に制限を受けるようになったのです。

それに続くアメリカ独立戦争における独立宣言、フランス革命などが起きるようになり、ヨーロッパに市民革命が成立するようになっていきます。さらに、その理論根拠として、ルソーやホッブス、ロックなどの思想家による民主主義の理論が構築されていきました。自由主義は、さらに産業革命における資本家の企業展開に不可欠なものとしても必要になっていきます。

このようにして、次第にヨーロッパはウエストファリア条約以降、絶対王政の成立から近代国家への変化が生じていったのです。

ナポレオン戦争後のメッテルニヒによる絶対王政への復古政策

しかし、ウエストファリア条約以降、絶対王政に対して自由主義、民主主義への階段を順調に登っていったのではありませんでした。

すなわち、フランス革命後の混乱からナポレオン皇帝がフランスを支配するとともに、ヨーロッパ全土への領土欲からナポレオン戦争が発生したのです。その混乱の時期を乗り越えたヨーロッパ諸国は、オーストリアの宰相であったメッテルニヒ主導のウィーン会議で絶対王政への復古時代に逆行することになります。各王国の王家は復活し、絶対王政を復活させようとしました。

近代国家の誕生_フランス革命とアメリカ独立戦争

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しかし、フランス革命によってブルボン王朝が絶えたフランスや独立を勝ち取ったアメリカ、市民革命がもっとも早く成立したイギリスなどが発展を続けます。それらの国が産業革命を成立させて、その市場として植民地を拡大して発展していったのです。近代的な発展のためには自由主義や民主主義による議会制度や産業革命を進展させることが必要だと各国で認識されました。ヨーロッパ諸国でも議会が設けられるようになり、絶対王政に制限がかかるようになっていったのです。

そして、19世紀末にはヨーロッパの列強諸国では、民主主義による議会主義、自由主義による資本主義が発展して多くの植民地を持つに至ったと言えます。

これらは、すべてウエストファリア条約がその起点になっていたのです。

ウエストファリア条約は人類にパンドラの箱を開けさせた

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ウエストファリア条約は、ある意味、人類の自由、豊かさに対する欲望に火をつけたと言えます。すなわち、ルネサンスで自由に対する人間としての渇望が生まれ、ウエストファリア条約によってそれは実現され、人類はパンドラの箱を開けてしまったと言えるでしょう。人間の自由や豊かさに対する欲望は際限がなく、それが原動力となって近代社会の文明は大きく発展したと言えるのです。しかし、それによって人類は自制心、他者への思いやりなどの社会を支える絆を失ったものも大きかったのではないか思います。今、私たちは人類が持っている理性、思いやりを取り戻す時代になっているのではないでしょうか。

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