大正日本の歴史

【大正桜に浪漫の嵐】15年しかなかった大正に花開いた様々な事件と文化

モダンなファッションと女性進出

大正時代の最大の特徴といえば日本の女性の活躍の幅が大きく広がったことにあるでしょう。明治時代には女性は子供を産んで子孫を繁栄させることに重きを置いていましたが、1911年に平塚らいてうらが『青鞜』で「原始、女性は太陽であった」と記すとこれを機に婦人解放運動がヒートアップ。また、この頃になると女性がやった方がいい職業も誕生していきバスガイド・電話交換手・タイピスト・看護師などの仕事をこなす職業婦人も現れ始めるようになります。

また、この時代に入るとこれまでのような和式の髪型や着物を着るのではなく、洋式の髪型や服を着るようになり、都市部中心にモダンガール(モガ)やモダンボーイ(モボ)などが誕生。

女性は前髪を膨らませるひさし髪が流行り、男性はシャツに袴を着るスタイルが主流となりました。

中流階級の誕生

第一次世界大戦にともなう好景気を背景に都市が発達。これまで農業が中心であった日本の経済は工業やサービス業といった第二次産業や第三次産業などに変化していき、その仕事に従事するいわゆるサラリーマンと呼ばれる人たちが出現していくようになりました。

このように中流階級が発達することになると人口や家などの問題が増え始め、大阪や東京などでは過密状態が続くようになります。

そこで発展していったのが鉄道やバスでした。大阪では小林一三が箕面有馬電気軌道(現在の阪急)を創始して、郊外に大きな家を建てる形式が主流となっていき、今につながる郊外に住んでそこから都市部へと出勤するスタイルが定着。

東京でも東京急行電鉄を始めとした路線が運営を開始して都市部では洋風生活を取り入れた文化住宅が流行しました。

食生活の変化

都市部で中流階級が出現するとその階級を中心として洋食が普及。鉄道のターミナル駅に建てられた百貨店などで食べられるようになり、カレーライス・トンカツ・コロッケは大正の三大洋食として親しまれていくようになります。

また、米騒動によって米の価格が急上昇すると米の代わりにパンが普及。洋食とは縁がなかった人たちが洋食に触れるようになり今のようなパンを食べる文化が定着していったのでした。

この時流行った流行歌

大正時代に入るとこれまであまり浸透していなかったレコードが大々的に普及。これによっていろんな人に親しまれることとな「流行歌」が誕生するようになります。

その中でも特に有名なのが『カチューシャの唄』と『ゴンドラの唄』という二つの曲。

カチューシャの唄は1914年に帝国劇場で上映された「復活」という劇において井須磨子という女優が歌ったことで爆発的に流行。当時千枚ぐらい売れたら大ヒットと言われた時代において異例の2万枚を売り上げ、日本人の曲として初の流行歌となりました。

ゴンドラの唄はカチューシャの唄を手がけた人と同じ人によって作曲された歌で、こちらも枚数などの詳しい情報は分かってはいませんが1万枚ぐらいのヒットを飛ばしました。特にゴンドラの唄の最初のフレーズである「いのち短し恋せよ乙女」はのちにセガから発売される『サクラ大戦』のキャッチフレーズとして使われるほど今もなお親しまれています。

文学の発展

大正時代に入ると今もなお教科書の題材になるようなさまざま作品やそれを載せた児童雑誌が創刊されました。

特に有名なのが1918年に創刊された雑誌「赤い鳥」。小説家であった鈴木三重吉がこれまでの物語を強制する社会に異議を唱えて子供に親しまれるような芸術性豊かな童話や童謡の創出を目指して創刊されたそうです。

この赤い鳥は1936年に彼が亡くなるまで196冊が発刊され、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、有島武郎の「一房の葡萄」、新美南吉の「ごんきつね」など今でも親しまれている作品がこの赤い鳥で連載されました。

また、この時代は赤い鳥以外にも文芸雑誌の創刊が相次ぎ、武者小路実篤と志賀直哉によって1910年には「白樺」が創刊。大正時代初期に巻き起こった大正デモクラシーの中で人間性を重んじて個人を大切にしていくことに注目した作品が次々と誕生。のちに白樺派と呼ばれる人たちが大正時代の文学の中心として活躍していたのです

大正時代は今の日本を形成した時代であった

image by PIXTA / 31926938

大正時代には日本の民主主義の動きである大正デモクラシーから始まり、そして日本を揺るがした関東大震災で終わった時代でもあり、このことが良くも悪くも昭和、そして平成令和へとつながっていくことになります。たった15年しかなかった大正。しかし、とても魅力的な時代でもあったのですね。

次のページを読む
1 2 3
Share: