「鉄の女」サッチャーの政権と新自由主義
1974年、総選挙に敗北したヒース内閣は総辞職。ヒースの辞任に伴って、保守党の党首選挙が実施されました。有力な右派候補が立候補を断念したため、サッチャーが右派を代表して立候補し当選。その後、1979年の総選挙で勝利したサッチャーは首相の座に着きます。サッチャー政権はフォークランド紛争や経済政策で強気の姿勢を崩しません。そのため、サッチャーは鉄の女といわれるようになります。
サッチャーの首相就任
1974年、保守党のキース内閣は総選挙で敗北し、保守党は政権の座から下ろされます。野党となった保守党の党首選挙で、右派勢力を代表して立候補したのがサッチャーでした。
外相などの主要閣僚を経験せず、しかも、女性の有力候補だったため保守党内から批判も出ましたが、サッチャーはひるみません。党首選挙の結果、サッチャーは前首相のヒースに勝利します。
保守党党首となったサッチャーは労働党からの政権奪還を狙いました。サッチャーは、反共産主義的な姿勢を貫いたことからソ連から「鉄の女」と評されます。ソ連としては、皮肉をこめた揶揄だったはずですが、サッチャーはこれを気に入り、彼女のイメージとして取り入れてしまいました。ソ連よりもサッチャーのほうが、一枚上手だったのですね。
1979年、サッチャーは、戦後一貫して続けられた高福祉の是正と国営企業の民営化などを強く訴えることで総選挙に勝利。イギリス初の女性首相となりました。
サッチャー政権の基本方針
サッチャーは、第二次世界大戦後の労働党政権がとった政策を強く批判していました。彼女は、重要産業の国有化は企業のやる気をそぎ、国際競争力を低下させたと考えます。また、手厚すぎる社会保障は人々の自助努力の妨げとなるとも考えました。
サッチャーが理想としたのはヴィクトリア女王の時代のイギリス。国は経済活動に深くかかわらず、財政支出もできるだけ抑えようとします。経済は資本主義の原則である市場経済・自由競争で運営されるべきだと考えたからでした。
こうした市場重視の経済政策を新自由主義といいます。政府が公共事業を増やして雇用を生み出すやりかたを否定し、民間で可能なことは民間で行うべきだとしました。さらに、社会保障についても年金の民営化や最低賃金法の撤廃を行い財政支出を減らします。
「鉄の女」の名声を高めたフォークランド紛争
1982年、南米のアルゼンチンは大西洋南部にあるフォークランド諸島に侵攻しました。フォークランド諸島はイギリスが支配していましたが、アルゼンチンのガルチェリ大統領がフォークランド諸島(アルゼンチン名でマルビナス諸島)の領有権を主張。軍を派遣しフォークランド諸島を占拠しました。
アルゼンチン軍のフォークランド諸島占領の知らせを聞くや否や、にサッチャーは間髪入れずイギリス軍に反撃を命じます。アメリカ軍やNATO軍の協力を取り付けたイギリス軍はフォークランド諸島を占領していたアルゼンチン軍を攻撃。撤退に追い込みました。
両軍とも近代化された軍隊同士の戦闘として注目され、テレビなどでも連日報道されます。フォークランド諸島を奪還したサッチャーは国民から称賛されました。
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新自由主義を掲げた日米の保守政権
第二次世界大戦後に多くの国で行われた公共事業の拡大や社会保障の充実に対し、国による経済関与を最低限にするべきとするサッチャーの主張は「サッチャリズム」とよばれます。「小さな政府」「民営化」というサッチャリズムの核になる考え方は、各国にも影響を与えました。
特に、日本では中曽根内閣が新自由主義的な経済政策を実行し、国鉄の分割民営化や日本電信電話公社のNTTグループへの移行、日本専売公社の民営化などサッチャーが行った国有企業の民営化と似た政策が実行されます。
また、アメリカではレーガン大統領が新自由主義の立場にたった「レーガノミクス」を断行。減税や社会保障費の削減などで財政赤字を解消しようとしました。
サッチャー政権の苦闘
フォークランド紛争では強硬姿勢が評価され支持率を上昇させましたが、国内政策では必ずしも強い支持は得られませんでした。税制面では所得税を軽減し、付加価値税(日本の消費税にあたるもの)の増税を決めます。しかし、減税は高所得者ほど有利になり、付加価値税の増税は低所得者ほど負担が増えることから国民の反発を招きました。
自助努力を重視するサッチャーとしては、より多く働いて収入を増やすことで増税に耐えられるようにするべきと考えますが、国民からは金持ち優遇で庶民に冷たいという印象を持たれます。
さらに、物価の高騰や経済成長の鈍化、失業者の急増などにより政権の支持率は低下しました。こうしたサッチャーの政策に対し労働組合は激しく抵抗しました。サッチャーは反対運動を強硬姿勢で押し切り、新自由主義的な経済政策を推し進めます。