ヨーロッパの歴史

「バルビゾン派」って?パリ郊外に集った写実主義画家たちの世界をわかりやすく解説

19世紀に隆盛を極めた芸術運動・写実主義。そんな中で「バルビゾン派」と呼ばれる画家たちのことをご存知ですか?1830年派とも呼ばれる彼らはパリ郊外の村・バルビゾン村に移住し、農村風景やフォンテーヌブローの森を舞台に写実主義絵画を発展させました。バルビゾン村に集まった画家は総勢100人以上!そんな中でも「バルビゾンの七星」と称される画家の作品を時代背景とともにご紹介いたします。

バルビゾン村ってどんなところ?

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まずはバルビゾン村の風土や地理について把握していきましょう。パリから南へ、車で約1時間。セーヌ=エ=マルヌ県に位置する集落バルビゾン村ですが、ここに集った画家の数はなんと100人以上。村全体がまさに写実主義画家たちの聖地だったのでした。現在も多くの観光客を魅了するバルビゾン村ですが、どうしてパリから離れて、そもそもこんな田舎へ?詳しく見ていきましょう。

#1 バルビゾン村に画家が集った理由

バルビゾン派として著名なのは「落ち穂拾い」「種まく人」などの傑作で知られる農民画家ジャン=フランソワ・ミレー。バルビゾンへ移住してからが彼の創作の本領発揮と言っていいでしょう。そんな彼がこの地へやってきた理由を手紙で書き残していますが……そのわけは、政治的混乱とコレラの大流行という意外でシビアな事情によりました。

フランスはナポレオン戦争のあと王政復古があり、カオスを経てルイ=フィリップ王の時代へ。バルビゾン派が誕生した1830年にはちょうど二月革命が挙行されました。立憲王国となったフランスはまだまだ荒波の中。ゴタゴタで落ち着かないパリの都から芸術家たちは新天地開拓に乗り出したのです。

まだ理由はあります。なんと同時期パリはコレラで大パニック。1832年からの17年間で3度に渡り、パリでコレラはパンデミックを起こしています。ちなみにこの原因となった不衛生極まるパリの街をどうにかすべく、ナポレオン3世によるパリの都市大改造計画につながるのですが……。うーん大変な時期だったんですね。

#2 インスピレーションの源・フォンテーヌブローの森

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バルビゾン派の愛したモチーフとして重要なのが、フォンテーヌブローの森。ここで多くの傑作絵画が生まれました。なんと森林の面積はパリの街よりも広く、歴史は12世紀に公式文書に名前をあらわすところまで遡ります。

このフォンテーヌブローの森、歴代王族の狩猟地として大切に扱われてきました。フランスで1番大きな城館・フォンテーヌブロー城は、12世紀にこの地に礼拝堂を作ったルイ7世からフランス最後の君主ナポレオン3世まで、700年に渡り王族が愛し親しんだ場所。現在も大切に整備・保全されている森は人気の観光スポットであり、近郊住民たちの憩いの場です。

バルビゾン村はこのフォンテーヌブローの森のほとりに位置しています。バルビゾン派の画家たちはフォンテーヌブローの森を題材に多くの絵画を残しており、画家によってそのとらえ方や描き方はさまざま。それを比べるのもバルビゾン派の楽しみ方の1つですよ。

#3 バルビゾン派の特徴って?

Claude Monet - Woman with a Parasol - Madame Monet and Her Son - Google Art Project.jpg
By クロード・モネEwHxeymQQnprMg at Google Cultural Institute maximum zoom level, パブリック・ドメイン, Link

ミレーは「パリよりも物価が安く、その気になればパリに行くにもさほど時間がかからない」とバルビゾン村を絶賛。キラ星のごとき画家たちが日々、自然と向き合いながら絵筆を走らせていましたが「○○派」と呼ばれるからには一定の特徴があるはず。わかりやすく、印象派と比べてみましょう。

こちらはクロード・モネ「日傘を差す女」。戸外でパラソルを差す女性の姿です。印象派を代表する名作ですが、空の色をはじめ全体的な色調は明るく、服装は都会的。印象派は写実主義の後に発展した芸術運動ですが、同じく自然を描いていてもパステルカラーのような色合いを愛用しているのが特徴といえます。

一方でバルビゾン派の絵画は、暗色をあつかい、描くのは田舎の風景。また、手に触れられるかのような質感も特徴的です。あえて特徴を一言でまとめて言うのならば「土臭さ」でしょうか。さらにはこれから紹介していきますが、バルビゾン派はもっぱら風景画を得意とした一派です。自然とまっすぐに向き合ったバルビゾン派は絵画史にあらたなワンシーンを作ったのでした。

#4 バルビゾン派「七星」絵画史に輝く写実主義画家7人を一挙紹介!

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ここからは画家と絵画の紹介タイム!100人以上が集った聖地バルビゾン村ですが、そんな中でも「七星」と称される偉大な7人の画家がいました。ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニー、そしてコロー。絵画史に名を残すそうそうたる面々。バルビゾン派を代表する彼らの代表作を一気にご紹介しましょう。

#5 農民に寄り添い続けた、ジャン=フランソワ・ミレー

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By ジャン=フランソワ・ミレー – The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, Link

バルビゾン派の巨匠であり「元祖」であるのが、ジャン=フランソワ・ミレー。「落ち穂拾い」などの傑作で日本人にも親しい存在です。農民絵で知られるミレーですが、その本領はバルビゾン村に移住してから発揮されはじめました。

農民絵を得意とする彼の作品は「労働者」を描いたものとして政治的な批判対象とされることも多く、様々な思惑渦巻くパリから離れることができるのは創作にとっても非常に幸いなことでした。ミレーは最初にバルビゾン村に移住した画家の1人。バルビゾン村の農民たちの姿を誠実な目で見つめて描いた農民絵の数々は今なお多くの人に愛されています。

バルビゾン派の多くは写実主義風景画をメインとして活動したのに対し、ミレーはそこから発展して、農民という人物を重要モチーフとして扱いました。大地のあたたかい色合いと、農民たちが暮らす素朴な風景。この原風景はバルビゾン村に腰を落ち着けて創作したからこそ得られたものでした。もしもバルビゾン村への移住がなければミレーのモチーフも変わっており、絵画史は違ったものになっていたかもしれません。

#6 「風景画」を作った立役者、テオドール・ルソー

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By テオドール・ルソー, パブリック・ドメイン, Link

ミレーと並んでバルビゾン派画家として著名なのがテオドール・ルソー。晩年は大家として認められ、現在ではバルビゾン派の押しも押されもせぬ一大巨匠と言われますが、10数年もサロンへの入選を拒まれたという時期があります。「落選王」などと呼ばれもし、長い年月「干された」ルソーでしたが不遇に屈することはなく、1830年代に移住したバルビゾン村で優れた風景画を多く描き上げました。

当時は写実主義ひいては風景画そのものが黎明期だった時期。物語絵や歴史絵の背景としてモブ的な扱いだった風景を主題とした「風景画」を1つの絵画ジャンルとして成立させた、その功労者の1人がルソーです。

こちらはそのテオドール・ルソーの作品「アプルモンの樫、フォンテーヌブローの森」。カシの巨木の下に憩う牛たち、それに牛飼い。平原が広がる中で家畜に草を食べさせる、のどやかな、どこにでもある風景。神話や聖書、歴史のワンシーンとしての風景ではなく、目の前の現実を誠実に描いたルソーは、現在も風景画の大家として名高い存在です。1867年、バルビゾン村で没しています。

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