その他の国の歴史ヨーロッパ

ヨーロッパの火薬庫は大変だ!汎スラブ主義とユーゴスラビアについてわかりやすく解説

ロシア革命と汎スラブ主義の夢

第一次世界大戦が勃発した後ロシア帝国はドイツ軍に苦戦。最終的には領土に攻められることを許してしまい、日露戦争のことからくすぶり続けていた労働者の怒りは遂に爆発。ロシア革命として帝政は崩壊。さらにレーニン率いるソビエト政権が民族の優位性を否定したため、ロシアが主導に行なっていた汎スラブ主義は完全に崩壊。ロシア帝国の消滅と共に汎スラブ主義は消えたのでした。

汎スラブ主義によって誕生した二つの国

Flag of Yugoslavia (1918–1941).svg
By Fibonacci – SVG file own work by uploader, flag design uncopyrightable (simple geometric), パブリック・ドメイン, Link

第二次バルカン戦争とロシア革命によって消滅した汎スラブ主義でしたが、その考えは後の世まで繋がり最終的には二つの国を誕生させるきっかけとなりました。しかし、この二つの国も最終的には崩壊することとなるのです。

チェコスロバキア

1914年の第一次世界大戦によってかねてより独立運動があったチェコとスロバキアはより一層その主張を激化。1918年にオーストリア帝国が崩壊するとチェコとスロバキアが統一する形でチェコスロバキアが独立しました。

しかし、その国内にはチェコ人とスロバキア人が同居するという形となり、さらにドイツの国境付近であるズデーテンランドにはドイツ人が多数居住していたのです。

これに目をつけたのが1933年にドイツの首相となり独裁下を強めていったヒトラー。ヒトラーは1938年にドイツ人が多く住んでいるズデーテンランドをドイツに割譲するように脅しをかけてミュンヘン会談によってその領土が明け渡されることとなりました。さらに翌年にはドイツ軍がチェコ全土に進駐。チェコ側はドイツの保護領となり、スロバキアはドイツの傀儡国となりました。しかし、第二次世界大戦後には共産主義国として復活。

その後1993年にチェコとスロバキアは平和裡に連邦を解体することが決定(ビロード離婚)され、現在に至っています。

ユーゴスラビア

汎スラブ主義の舞台となったバルカン半島。1918年にオーストリア帝国が崩壊するとセルビア・クロアチア・ボスニア・ヘルツェゴビナ・マケドニア・モンテネグロの六つの南スラブ人の統一国家が建国。これがいわゆるユーゴスラビアだったのです。

ユーゴスラビアは多民族国家の代名詞として名を挙げたものの、なんとか国を保ち続けていましたが、そこに茶々を入れてきたのが毎度おなじみアドルフ・ヒトラー。ヒトラーは元々親独派であったユーゴスラビアでクーデターが起こり中立国となっていたユーゴスラビアに突如侵攻してセルビアとクロアチアを独立国とさせて占領しました。しかし、ユーゴスラビアの民族主義者はパルチザンとして抵抗を続けて第二次世界大戦が終結するとパルチザンの一員であったチトーによるユーゴスラビア社会主義連邦共和国が成立しました。

次のページを読む
1 2 3
Share: