泥沼のユーゴスラビア紛争
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が成立したのち、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国はチトーの卓越した才能と独裁政治のお陰でやじろべえのような形でバランスがとられていきます。汎スラブ主義の理想形として遂にバルカン半島に安定した統一政府ができましたが、このようなやじろべえのバランスは長く続くことはありませんでした。
1980年にチトーが亡くなるとユーゴスラビア内でのいざこざが噴出するようになり、特にセルビア人の優遇政策がとられていくようになります。これに待ったをかけたのがクロアチア人とスロベニア人。この二つの民族はセルビアファーストになり始めたユーゴスラビア社会主義連邦共和国に遂に耐えかねて1991年に独立を発表。
ユーゴスラビア紛争と呼ばれる泥沼の戦争を経てユーゴスラビアはチェコスロバキアのように平和裡に解体されることなく、空中分解されたのでした。
その後次々と民族が独立していき最後には2006年にモンテネグロが独立したことによってユーゴスラビアは正式に消滅。汎スラブ主義の理想国家として誕生したユーゴスラビアは夢のように消えていったのでした。
汎スラブ主義はバルカン半島の情勢を大きく変えた
汎スラブ主義はスラヴ民族の統一を目指しましたが、その結果第一次世界大戦を招き、さらにその理念のもので成立したユーゴスラビアも最終的にはユーゴスラビア紛争という泥沼の内乱が起こり崩壊しました。
汎スラブ主義はまさしくバルカン半島の情勢を大きく変えた思想だったのです。
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