アメリカの歴史独立後

アメリカ超大国への道「第二次産業革命」をわかりやすく解説

金ぴか時代の到来

こうして急速に工業化を果たしていくアメリカでしたが、このようにアメリカの産業を守ったこともあって企業などが勃興するようになります。例えばアメリカの石油産業のほとんどを牛耳って石油王と恐れられたロックフェラー財団や、一代で鉄鋼業で財を成した鉄鋼王カーネギーなどの今にも続く大財閥が誕生するようになりました。

また、この頃には西海岸にて大量の金が取れたこともあり、世界中から移民が流入。今では「民族のサラダボウル」と言われることもあるアメリカの文化が形成されていき、この豊富な移民の人的資源を使ってアメリカは急速に発展を遂げることとなります。これをいわゆる金ぴか時代といい、この結果アメリカは20世紀に入るとイギリスを抜いて世界一の工業国家へと躍り出ることとなったのでした。

ドイツの統一と工業化

ドイツが工業化を果たすようになるのは1870年代から。元々ドイツは神聖ローマ帝国が存在した名残で小連邦に分裂して、その中でもプロイセン王国がドイツの支配権を握っているような状態でした。

そんな中、1862年にプロイセンの首相となったビスマルクは軍拡を行なって同じくドイツを支配していたオーストリアを攻撃。これに勝利して北ドイツを統一するとさらにノリに乗ったプロイセンはフランスも攻撃して多額の賠償金とアルザルロレーヌ地方を手に入れついに1871年にドイツは統一。

この頃からイギリスを模範とした産業の発展に勤めていくようになります。

ドイツが工業化を遂げたわけ

ドイツ帝国内では今のような自由競争による産業の発展を目指すのではなく、カルテルというその分野の企業たちが集まって生産の計画や販売する量を決めたりする方式をとるようになりました。

こうすることによって効率的に産業を育成することができ、さらには普仏戦争による多額の賠償金を使って鉄道の開通などのインフラの整備に投資。

ルール地方に大量の工場群を立ててドイツはいつのまにかイギリスを凌ぐ工業力を手に入れたのでした。

なんでイギリスは第二次産業革命に出遅れたのか?

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第一次産業革命の主役といえば皆さんご存知の通りイギリスでした。イギリスは大量の機械を開発して大量の製品を作り、それを植民地に売ってお金を稼いでいたのです。

しかし、人はお金儲けをすると慢心という気持ちが現れていき、イギリスの資本家たちは第二次産業革命の頃になって開発された機械を導入することを見送ったのでした。

さらに、この頃になるとイギリスが世界のほとんどの金を手に入れている状況が続くようになり、お金を失いたくないイギリスはなかなか投資ということをしようとはせず、そのおかげで最新式の工場を建てることができなかったのです。

そのため、1900年に入ると猛スピードで工業化を推進していたアメリカに太刀打ちすることができなくなり、この頃になると経済力ですらアメリカに負けるようになります。

大英帝国として栄華を誇ったイギリスですが、その崩壊の道はすぐそこまで迫っていたのでした。

第二次産業革命による発明品

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こうしてアメリカとドイツが中心となって起こった産業革命でしたが、この産業革命では一体どんな製品が発明されたのでしょうか?

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