アメリカの歴史独立後

国際連盟設立を提案した理想主義者「ウィルソン大統領」を元予備校講師がわかりやすく解説

ウィルソンは20世紀前半のアメリカ大統領として第一次世界大戦中の米国を指導した大統領です。ウィルソンは大戦中に「ウィルソンの十四カ条」を発表し国際連盟の設立を提唱しました。しかし、世界平和を目指してつくられた国際連盟に、アメリカは参加することができません。上院で国際連盟への参加が否決されたからでした。理想と現実のギャップを埋めるべく苦闘したウィルソン大統領について、元予備校講師がわかりやすく解説します。

大統領になる前のウィルソン

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19世紀中ごろ、バージニア州に生まれたウィルソンは、進歩主義を奉じる政治学者として学問の世界で身を立てました。1910年、学者として名声が高まっていたウィルソンは民主党の要請にこたえニュージャージー州の州知事選挙に立候補し当選を果たします。2年後、ウィルソンは民主党の大統領候補として立候補。共和党の分裂にも助けられ、アメリカ第28代大統領に就任します。

ウィルソンの誕生と南北戦争

1856年12月28日、ウィルソンは牧師である父親ジョゼフ=ラグルズ=ウィルソンと母親ジェシー=ジャネット=ウッドローの長男としてバージニア州で生まれました。ウィルソンが生まれたころ、アメリカでは北部と南部の対立が激化します。

1861年、北部と南部の対立は解消不能となり、南部がアメリカ連合国の設立を宣言。これを認めない北部との間で南北戦争が始まりました。南北戦争はアメリカ史上最大の内戦で、62万人近くの死者を出す凄惨な戦いです。

ウィルソンが生まれたバージニア州はアメリカ連合国の首都置かれ、南軍の中心となりました。南北戦争は1861年から65年まで続き、戦場となった南部諸州は荒廃します。

戦争終結後、ウィルソンは父親の教会にいましたが、政治学の研究家を志しプリンストン大学を卒業しました。

政治学者ウィルソン

19世紀後半、アメリカは猟官制が原因の政治腐敗の問題に悩まされています。猟官制とは、選挙で政権が交代するたびに中央・地方を問わず、選挙で勝った政党に属する人物、近い人物が公務員として採用される仕組みのこと。猟官制が行われた背景には、選挙によってえらばれた政党が、公務員人事を左右するのは当然だとする考えがありました。

しかし、猟官制には大きな弊害があります。それは、政治的に能力がない人物やふさわしくない人物でも、政党を援助すると国家の役職に就くことができるという点でした。

プリンストン大学の教授・総長となっていたウィルソンは、行政を担当する公務員と、政治を担当する政治家は分離すべきであると訴え、アメリカに近代的な官僚制を作り上げようと主張します。このため、ウィルソンは行政学の創始者とみなされることがありますね。

ウィルソンの政界進出

行政と政治に関する研究で名声を上げたウィルソンは民主党のニュージャージー州知事選挙候補者に指名されます。ウィルソンは1910年に行われた州知事選挙で勝利しニュージャージー州知事となりました。

1912年、ウィルソンは民主党の大統領選挙候補者に指名されます。このとき、共和党では現職のタフト大統領と元大統領のセオドア=ローズヴェルトが大統領候補の指名をめぐって争いました。

共和党の党大会ではタフトが勝利し、共和党の候補者として指名されましたが、ローズヴェルトは独自に新政党である進歩党を結成。署名を集めたうえで大統領選挙に立候補します。その結果、共和党は分裂状態となり、民主党のウィルソンにとって有利な状況が生まれました。

結局、選挙で勝利したのはウィルソン。これにより、ウィルソンは第28代アメリカ合衆国大統領に就任します。

ウィルソン大統領の政策

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ウィルソン大統領は、それまで共和党政権が行ってきた政策を転換。宣教師外交を始めました。1914年に始まった第一次世界大戦では、当初は中立を宣言します。しかし、ルシタニア号事件をきっかけにアメリカは協商国として参戦しました。戦争中、ウィルソンは「ウィルソンの十四カ条」を発表します。戦争後、ウィルソンの十四カ条をベースとして講和会議が進行しました。その一方、ウィルソンが国際平和のために提唱した国際連盟へのアメリカの参加は見送られました。

ウィルソン政権が掲げた進歩主義

19世紀後半、アメリカでは産業革命が急速に進行し、工業化が進みました。共和党政権は外国からの輸入品に高関税をかける保護貿易政策を行い、国内産業を保護します。その一方、国内では自由主義経済を採用し、政府が経済活動に干渉しないようにしました。

急速に成長したアメリカ企業は、国内で激しい競争を展開。競争に勝利したロックフェラーやカーネギーなどは莫大な富を築き上げます。その一方、多くの農民や労働者は、富豪たちほど豊かではなく、貧富の格差が大きくなりました

こうした現状を打破し、格差を是正しようとする考え方が革新主義、または進歩主義です。大統領選挙でウィルソンは、富を独占する大銀行家や大資本家を特権階級として批判し、彼らを排除することを訴え当選しました。

ウィルソンは連邦政府の権限を強め、過度な自由主義を修正し、貧富の格差を小さくしようとつとめます

宣教師外交の展開

20世紀初頭、アメリカではセオドア=ローズヴェルトによって「棍棒外交」が行われていました。「大きな棍棒を携え、穏やかに話す」とローズヴェルトが説明した棍棒外交は、アメリカによるカリブ海への武力介入を正当化するものです。

大統領選挙に勝利したウィルソンは、民主主義を至上の価値と考え、メキシコ以南の中南米諸国に対し軍事力を用いてでも民主主義を根付かせようとしました。あたかも、スペインが植民地に宣教師を派遣してキリスト教を布教したことに似ていることから、宣教師外交とよばれます。

しかし、中南米諸国の立場からすれば、武力を背景にアメリカの都合を押し付けるという点では棍棒外交と宣教師外交に違いがありません。そのため、中南米諸国は自分の価値観を強引に押し付ける宣教師外交に強く反発。宣教師外交は失敗に終わりました

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