アメリカの歴史独立後

〜冷戦の悲劇〜超大国の戦の舞台となった3つの「代理戦争」

再び起こる代理戦争とベトナムの未来

こうしてベトナム戦争は北ベトナムの勝利で終わりましたが、ベトナムがカンボジアに侵攻したり、華僑を追放したりするとベトナムと中国の関係は悪化。さらにこの頃同じ共産主義国家なのにもかかわらずソ連と中国の関係も悪化したことからソ連が支援しているベトナムとの関係とそれに伴って悪化する様になります。

こうして中国は親中派であったカンボジアに侵攻してきたベトナムを懲罰するという形でベトナムへと侵攻。中越戦争が起こったのでした。

この戦争に対してソ連はベトナムに援助物資を送り、中国に対抗させます。さらにベトナム軍お得意のゲリラ戦法がうまくいき中国軍をどんどん撃退。最終的には中国はベトナムから撤退して中越戦争はベトナムの勝利に終わりました。

その後ベトナムはベトナム戦争や中越戦争などで共産主義の改革を迫られる様になり、中国と同じ様にある程度資本主義の考えを容認する動きとなりドイモイ政策という開放政策を実行する様になり、その甲斐もあってか1990年には永遠に敵対関係になってもおかしくないアメリカとの国交回復を成し遂げます。

アフガニスタン侵攻

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ベトナム戦争が終結するとニクソン大統領の中国電撃訪問など世界では冷戦の情勢が安定していき、徐々に対立関係は薄れていきました。

しかし、それでもソ連は共産主義国家を守るために次々と軍事行動を起こしていきます。そしてベトナム戦争終結から3年後ソ連はアフガニスタンに侵攻するようになったのでした。

イスラム主義の恐れ

1979年、イランにてイスラム主義者が革命を起こしいわゆるイラン革命が勃発。イランは親米的政権からイスラム法によって支配される国となりました。これはソ連にとったらいいことかもしれませんが、これを当時ソ連の指導者であったブレジネフは危機感を抱くようになります。

社会主義の考えを広めたマルクスは「宗教はアヘンと同じ」と言ったことからソ連では宗教というものを信仰することがありませんでした。そのためソ連は宗教を信仰している人を弾圧することになるのですが、もしもこのイラン革命が波及してイスラム民族が暴れ出したら厄介です。

さらにこの当時ブレジネフは社会主義国家の連帯を図るべくブレジネフドクトリンを創始。アフガニスタンの共産主義政党を保護して当時アフガニスタンを支配していた軍事政権を打倒しようとしました。

そのためソ連はアフガニスタンの共産主義政党を守る目的でアフガニスタンに軍を差し向け駐留させます。もちろんアフガニスタンに住んでいるイスラム主義者はこんなこと容認するはずもなくアフガニスタンで戦争が勃発しました。

アメリカの反政府軍への介入とモスクワオリンピックボイコット

こうして始まったアフガニスタン侵攻ですが、アメリカはソ連のアフガニスタン侵攻を徹底的に非難。これまで結構雪解けムードがあったアメリカとソ連の仲は一気に冷めきることとなり、アメリカはソ連に対して経済制裁をするとともにアフガニスタンの現地の反政府組織に武器の供給を行うなど徹底的に対抗措置を取っていきます。

さらに、アメリカは翌年に行われるはずであったモスクワ夏季オリンピックを西側諸国共にボイコッドを発表。日本もこれに巻き込まれてしまい本来ならありえないオリンピックを政治的な理由でボイコットするというとんでもない展開も起こってしまいました。

アフガニスタン撤退とソ連の深い傷跡

こうしてアフガニスタンに侵攻したソ連でしたが、反政府組織の抵抗が意外に強く、混乱の収拾に失敗。10年間続いてしまったアフガニスタンへの遠征費用によってソ連の国内経済を破綻に追い込んでしまいます。

1985年に誕生したゴルバチョフ政権はこんな破綻しているソ連の経済をなんとかして立て直すためにペレストロイカを開始。これが東欧の自由化を招き、1989年にはアフガニスタンからの撤退を正式に表明しました。

しかし、ソ連が負ってしまった傷はとてつもなく深く、これが原因となりソ連は2年後に崩壊することとなったのです。

アルカイダの結成と9.11

こうしてアフガニスタン侵攻は幕を閉じましたが、ソ連が侵攻したことによってアフガニスタン国内ではイスラム原理主義者が台頭。いわゆるアルカイダという組織が誕生し反米闘争へとシフトチェンジをすることとなりました。

さらに恐ろしいことにアフガニスタンの反政府組織に武器を提供したがためにイスラム原理主義者はその武器をとってアメリカに対して攻撃を開始。2001年には未曾有のハイジャックテロである9.11同時多発テロの遠因となっていったのでした。

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