イタリアヨーロッパの歴史

世界のお騒がせ主義「ファシズム」の思想をわかりやすく解説

ドイツのファシスト化

こうしてイタリアがファシスト化しましたが、その頃ドイツでもファシスト政党であるナチスが台頭していました。

ナチスは第一次世界大戦によって荒廃したドイツを復活させてドイツ民族の誇りを取り戻すと宣言して次々とその勢力を拡大。世界恐慌が起こった後はドイツを復活させたいと望んでいた民衆の助けを得て1933年に政権を合法的に奪取。さらに1934年には党首ヒトラーが大統領であったヒンデンブルクがなくなったことを受けて首相と大統領の権限をひとまとめにした総統に就任。ドイツはファシスト政党によって支配されることとなったのでした。

各国のファシスト政権

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さて、ここまではどうしてドイツやイタリアがファシスト国家となってしまったのかを見ていきましたが、次はそんなファシストをイデオロギーとしていた国々を見ていきましょう。

ドイツの場合

ファシストといって最初に思いつくのが枢軸国の親玉であるドイツでした。

ドイツは1933年にヒトラーが首相に就任するとヒトラーは国会議事堂が炎上したことを理由付けて共産党を始めナチスに刃向かう政党をことごとく排除。3月には全権委任法という政府が議会や裁判所の許可を待たずして法律を作れることができるという無茶苦茶な法律を可決させて独裁政治を確立させました。

こうしてドイツを支配したヒトラーは大統領緊急令によって基本的人権を否定したことに始め、ナチスの考えに反する本を全て焼却処分。労働組合も廃止されてしまい、残ったのはナチスに賛同するだけの骨抜きの組合のみとなりました。

失業問題の解決とユダヤ人の排斥

どうしてヒトラーはこんな無茶苦茶なことをしたのにもかかわらず民衆から支持されたのでしょうか?それにはヒトラーが行った政策や演説の魔力がありました。

ヒトラーは政権を握った後ドイツ国内の高速道路であるアウトバーンの建設に着手。国内であふれていた労働者を雇用するケインズ経済学に習ったこの政策によってみるみるうちに失業率は低下。

民衆はこれはヒトラーのお陰だと思い込むようになり、ヒトラーを非難する人はいつのまにか居なくなっていました。

こうして支持者を獲得したヒトラーは元々からの課題であったユダヤ人の排斥を開始。ニュルンベルク法でユダヤ人の市民権を剥奪したことに始まり、最終的にはアウシュビッツをはじめとした収容所に無理矢理入れられるという悲惨な状況下に置かれることとなります。

 

 

イタリアの場合

イタリアは1922年にローマ進軍によって政権を合法的に奪取すると次々とイタリアが積んだままであった問題に取り組んでいきます。

1929年には長年対立してきたローマ教皇庁と和解。ラテラノ条約を結んでバチカン市国を承認して長年続いたイタリア最大の問題を解決させました。これは国内外から大きな注目を浴びこれを利用できるとしたムッソリーニは国会を骨抜きにする案を提出。民主主義に飽き飽きしていた民衆たちはこれをあっさり承認してイタリアの民主主義はあっさりと潰されたのでした。

イタリアの海外侵略

ムッソリーニはイタリアをローマ帝国のような偉大な国家に戻すと宣言して海外侵略を推進。かつてイタリアが敗れたエチオピアに1936年から侵攻を開始するとイタリアは国際連盟からの非難を集めながらもエチオピアを併合。

さらには元々仲があまり良くなかったドイツと提携するようになり、1937年にはベルリン=ローマ枢軸を発表。(これがのちの枢軸国の由来となる)

さらに日本も参加させて枢軸国のメンバーを結成したイタリアは1939年にアルバニアも併合して第二次世界大戦を迎えたのでした。

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