イタリアヨーロッパの歴史

世界のお騒がせ主義「ファシズム」の思想をわかりやすく解説

日本の場合

ドイツ・イタリアがファシズムを掲げて独裁政治を推し進める中、東洋の国家日本はファシズムのようでファシズムではない国家体制を着々と建設していました。

日本は1932年に満州国を国際的な承認も得ずに勝手に建国すると軍部を中心に完全に暴走。1932年に五・一五事件、1936年に二・二六事件が起こると日本でようやく形成されていた政党政治が崩壊。軍部による独裁体制が確立されました。

そんな中、当時首相であった近衛文麿という人はドイツやイタリアを手本とした独裁を確立させようと1937年に全ての政党を解散させた上で当時日本で一番偉いとされた天皇の政治を助けるという意味を込めて大政翼賛会という政治組織を立ち上げました。

ちなみに、日本のこの場合は単なるファシズムとは少し違うということから天皇制ファシズムだったり日本ファシズムと言ったりします。

天皇制ファシズムの欠点

日本の場合ファシズムになるということがまず不可能でした。実はというと日本という国は天皇が一番偉いこととなっていましたが、この当時の天皇である昭和天皇はこの体制は時代遅れだと認識しており、重大な事件(例:二・二六事件、終戦における御聖断)の一部のこと以外は介入しないまさしく君臨すれど統治せずの立場を取っていました。

これが非常にややこしい事態を生み出してしまい、ファシズムを目指しているにもかかわらずそれをまとめる指導者が存在しないという滅茶苦茶な状況となってしまいました。

特に軍部に関してはそれが顕著に現れており、当時の大日本帝国憲法には軍部は天皇以外の命令(統帥権)を受けない独立した組織だと明記されており、首相の権限が非常に弱いものでした。

そのために日本は足の引っ張り合いが横行。いつの間にか取り返しのつかない方面に向かってしまい、一番起こしてはいけないシナリオである中国とイギリスとアメリカの三方で戦うという最悪の事態を引き起こしてしまったのです。

スペインの場合

ファシズムとして有名なのはかつて第二次世界大戦において枢軸国側についたドイツ・イタリア・日本だと思いますが、その他にスペインもフランコ将軍率いるファランへ党というファシズム政党が政権を握っていました。

しかし、スペインの場合は少し枢軸国たちとは違い、1936年からのスペイン内戦によって国が真っ二つになった後の成立だったため少し国内が混乱しており、第二次世界大戦に参加することはなく独ソ戦において義勇軍を派遣したのにも関わらず中立を表明してアメリカとイギリスに急接近。そのため、このファランヘ党は戦後も存続し、アメリカやイギリスから白い目で見られながらも冷戦に突入していき共産主義に対抗してくれる点があったおかげでなんとかアメリカの援助を受けることに成功。なんだかんだでフランコ将軍が亡くなる1975年までファシスト政権を維持できたのでした。

ポルトガルの場合

ファシズム政党が戦後も存続できた例はスペインだけではありません。お隣ポルトガルもファシズム政党が長年国を支配していました。

第一次世界大戦ののちポルトガルでは元大蔵大臣であったサラザールという人は経済を立て直したことが国民の支持を得る結果となり、自身の勢力基盤として国民同盟を結成。

1936年には政権を奪取してサラザールは首相と大蔵大臣と外務大臣を兼任してポルトガルはファシスト化しました。

そんなポルトガルでしたが、第二次世界大戦においてはスペインと同じく中立を表明し、アメリカやイギリスに基地を貸し与えるなど親連合国な態度を取った結果スペインとは違い戦後にはNATOに加入。独裁政権でありながら自由を守るために結成された軍事組織に加入するなどおかしな点を見せてなんとか戦後を渡り歩いたのでした。

しかし、ポルトガルの独裁政権も長くは続かず1970年代にはポルトガルが所有していたアフリカ植民地の独立運動を発端として国内で反独裁政権のデモが頻発。1974年にはカーネーション革命が起こり、ポルトガルのファシスト政権は幕を閉じたのでした。

ファシズムは民衆によって作られたもの

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ファシストは現在ではドイツとイタリアを独裁国家とした主義として忌み嫌われていますが、この二つの国の特徴はどっちとも国民が熱狂的に支持して作られた合法的な政権でした。

これはつまり民衆の支持を得て政権を握ったことになり、ドイツやイタリアの暴走を作ったのは民衆のせいだといっても過言ではないのです。

最近再びファシストを目指そうとしているネオナチがヨーロッパで台頭している中、民衆は再び生活のため自由のためファシズムとはなんなのかというのをしっかりと考えなければなりません。

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