ヨーロッパの歴史

聖地エルサレムの奪還を目指した「十字軍」をわかりやすく解説

十字軍とは、11世紀の末から13世紀の間にヨーロッパ諸国のキリスト教徒が聖地エルサレム奪還のために起こした大遠征軍のことです。十字軍が送り込まれた数は代表的なものだけでも7回。戦いは断続的に200年間に及びました。戦いで多くの人がなくなる一方、人や物が大量に動いた結果、地中海の貿易は盛んになりました。今回は、十字軍の背景・内容・影響についてわかりやすく解説します。

十字軍の背景は何だろう

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聖地エルサレムの奪還を目指すとして始められた十字軍。その背景にはローマ帝国崩壊以来、縮小してきた西ヨーロッパ世界が再び拡大しようとする動きがありました。今までイスラム勢力などに押される一方だった西ヨーロッパが徐々に拡大・発展しようとしていたのです。十字軍の背景を探りましょう。

ヨーロッパの力が復活した

ローマ帝国の崩壊とゲルマン人の侵入は西ヨーロッパ世界を大混乱に陥れます。ゲルマン人がキリスト教に改宗した後もかつての繁栄とは程遠い状況でした。

復活のきっかけとなったのは農業生産の回復です。農地を効率よく使う三圃制の登場や馬に犂(すき)を引かせて深く耕す農法などが広がり、生産力が向上しました。

政治的にも強力なリーダーが現れます。フランク王国のカール大帝が西ヨーロッパの大半を統一しました。カール大帝はローマ教皇からローマ皇帝の冠を授かります。

カール帝国は彼の死後に分裂しますが、その後も東フランク王だったオットー1世が異民族の侵略を打ち破って神聖ローマ皇帝となるなど西ヨーロッパに強力な君主が登場。ヨーロッパは徐々にではありますが、外に向かって拡大する力を蓄えました。

教皇の力が強まった

西ヨーロッパで大きな影響を持っていたのがローマ教会です。教会はフランク王国と連携することで力を増しました。フランク王ピピンはローマ教会にローマ周辺の土地を寄進。ローマ教皇領が成立します。

それだけではなく、ローマ教会はヨーロッパじゅうのキリスト教徒から十分の一税を徴収する権利を持ちました。ローマ教会のトップを教皇といいます。力を増した教皇は皇帝や国王とも争いました。

カノッサの屈辱などで高位聖職者の任命権をめぐる叙任権闘争でゆういにたったことで皇帝や国王よりも強い力を持つとみなされるようになります。

十字軍時代の教皇であるインノケンティウス3世は「教皇は太陽で皇帝は月」といいました。教皇の発言力が強まったことで十字軍が起きやすくなったといえるでしょう。

十字軍に対する思惑

十字軍は聖地エルサレム奪回を目指す軍事行動です。聖地を取り戻すという大義名分以外にどのような思惑があったのでしょうか。

まず、十字軍を提唱したローマ教皇。教皇は十字軍を成功させること権威をさらに高めようとしていました。

次に大諸侯や騎士。彼らの目的は領地の獲得です。ヨーロッパ内での争いはキリスト教徒同士のものであり、戦う口実も必要でした。十字軍であれば異教徒であるイスラム勢力との戦い。占領した土地を自分の領土とする絶好のチャンスでした。

そして、北イタリアの都市国家。ヴェネツイィア・ジェノヴァ・ピサなどの都市国家は地中海貿易の拡大を狙っていました。また、十字軍を輸送することで大きな収入を得ることもできます。こうして利害の一致した西ヨーロッパの諸勢力は聖地エルサレム奪還に乗り出しました。

十字軍の内容

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7回にもわたる十字軍は多くのドラマを生み出しました。クレルモン公会議での教皇ウルバヌス2世の演説、第一回十字軍によるエルサレム王国の建国、第三回十字軍でのリチャード1世とサラディンの戦い、目的を失った第四回十字軍など様々なエピソードに事欠きません。十字軍の内容についてみてみましょう。

ビザンツ皇帝アレクシオス1世の救援要請

十字軍のころ、コンスタンティノープルを首都とするビザンツ帝国(東ローマ帝国)は滅亡の危機に直面していました。ビザンツ帝国の主な領土はギリシアと小アジア(現在のトルコ)です。

そのうち、小アジアにイスラムのセルジューク朝トルコが侵入しました。トルコ人はイスラーム世界でも最強の戦士。幾度かの戦いの後、セルジューク朝は小アジアを完全に制圧。ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルの目と鼻の先まで迫ってきました。

ビザンツ皇帝アレクシオス1世はローマ教皇に救援を求めます。ローマ教会とビザンツ帝国はキリスト教の解釈やあり方をめぐって対立関係にありましたが、そんなことは言っていられません。もはや、ビザンツ帝国はなりふり構わず教皇の救援を要請したのです。

クレルモン公会議と第一回十字軍~聖地奪還~

救援要請を受けた教皇ウルバヌス2世はフランス、クレルモンの地で公会議を開催します。公会議とは、キリスト教をめぐる諸問題を話し合う国際会議のことです。

この中で、ウルバヌス2世はビザンツ帝国が救援を要請してきたこと、聖地エルサレムが長きにわたって異教徒であるセルジューク朝の手にあることから、セルジューク朝を攻撃しビザンツ帝国の救援と聖地奪還をすべきだと演説しました。

教皇の呼びかけに応じたのは大貴族である諸侯とそれぞれに領地を持つ騎士たちです。彼らにとっては領土拡大の絶好のチャンスでした。十字軍に参加し中東に進撃した諸侯・騎士の連合軍はセルジューク朝の軍を撃破します。

十字軍はエルサレム王国などの国を建国。これらの国をまとめて十字軍国家とよぶこともあります。第一回十字軍は聖地奪還に成功ました。

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