ドイツナチスドイツヨーロッパの歴史

なぜユダヤ人は迫害を受けた?ユダヤ人の歴史と迫害の歴史について解説

水晶の夜事件と強制収容所

さて、ユダヤ人の排斥は着々と進んでいきましたが、ヒトラーのユダヤ人排斥はまだまだ止まりません。

ヒトラーはユダヤ人を完全にドイツからいなくするためについにとある作戦を立てるようになります。それがいわゆる水晶の夜事件でした。

水晶の夜なんて響きだけならばものすごく綺麗な名前ですが、この計画を簡単にいえばユダヤ人がドイツ人を殺したという名目の元でユダヤ人の生活区域を完全に破壊。ユダヤ人の排斥を完全なものにしようと第二次世界大戦においてドイツが占領した地域に強制収容所を建設して『ユダヤ人排斥の最終解決』ということで各国のユダヤ人をここに集めて劣悪な環境の元死ぬまで働かされました。

 

さらには要らなくなったユダヤ人を殺すためにガス室も建造。絶滅収容所という強制収容所よりもよりユダヤ人の殺害に特化した施設においてユダヤ人をガス室にどんどん送り込んで殺害。

一説によればこの絶滅収容所と強制収容所にて600万のユダヤ人が虐殺されるというデータがあるほどユダヤ人の絶滅計画は熾烈なものとなっていきました。

こうしてユダヤ人は絶滅させられる立場となりましたが皆さんご存知の通りナチスドイツは1945年に敗戦。ヒトラーは自殺し各地の強制収容所に入れられていたユダヤ人は連合国によって解放されたのでした。

現在のユダヤ人とまとめ

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ナチスドイツの敗戦ののち、ナチスのユダヤ人政策の実態がみるみるうちに明らかになる中、ユダヤ人の排斥は火が消えたように無くなり、逆にユダヤ人に対する同情がこの頃になると巻き起こっていました。

これを受けてユダヤ人はかつて第一次世界大戦においてイギリスが建国を約束してくれた事を受けて1945年に念願であった約束の地にイスラエルを建国。ユダヤ人の放浪の歴史はこれにて幕を閉じることとなりました。

しかし、これが新たな問題を生むこととなります。当時、パレスチナの地にはアラブ人がたくさん住んでおり、この地にで国を建国していました。しかし、そんな折にユダヤ人がいきなり「イギリスがここに国を建国する事を認めてくれたからイスラエルを建国するよ」という形で勝手に土地を奪い去ってしまいます。

もちろんアラブ人の人から見たらこんなこと許されるはずがありません。こうしてイスラエルとアラブ人の間で4度の中東戦争が起こることとなりました。

ユダヤ人はようやく掴んだイスラエルの地を手放すことなくこれまでの歴史を振り返って「力を持たなければ負けてしまう」という観点から軍事拡張を行い今では数少ない核保有国の一員となっています。

ユダヤ人がイスラエルを建国してからまだ100年足らず。ユダヤ人の新たなる歴史はまだまだこれからなのです。

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