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第二次世界大戦の前哨戦「スペイン内戦」とは?わかりやすく解説

スペイン内戦の終結

人民戦線軍がどんどん自滅していく中反乱軍はスペイン北部から再び首都であるマドリードに進軍。独ソ戦の前哨戦とも言える戦車戦が行われて人民戦線軍は無残にも甚大な被害を出して敗北してしまいました。

しかし、人民戦線軍は最後の望みをかけてマドリードを死守します。例え故郷の地がボロボロになったとしても、どんなに戦況が絶望的でも。

そして、人民戦線軍は最後の力を振り絞ってエブロ河渡河作戦を決行。なんとか粘り強く抵抗して反乱軍の侵攻を食い止めます。

しかし、国際社会は無残でした。1938年9月のミュンヘン会談によってイギリスとフランスはドイツに譲歩。イギリスとフランスはドイツに譲歩するという平和の代償としてスペインで戦っている人民戦線軍を見殺しにするという結論に達しました。

さらに、人民戦線軍の頼みの綱であるソ連もドイツとの連携に舵を切り、人民戦線軍の支援を打ち切ることを決定。世界から孤立した人民戦線軍は1939年に最後の根拠地であったバルセロナで最後の戦いが行われてついに反乱軍によって制圧。

人民戦線はフランスに亡命してさらに反乱軍はマドリードを落しました。

こうして3年にもわたって続いた内戦は終結。第二次スペイン共和政は7年で崩壊してここからフランコ将軍による独裁政治が始まることとなるのでした。

スペイン内戦のその後とスペイン内戦の意義

image by PIXTA / 36699601

スペイン内戦のその後、ドイツはポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発し、2度目の世界戦争が起きました。ヒトラーはファシスト国家となったスペインが枢軸入りするかと思いきや、フランコ将軍はスペイン内戦の傷が癒えないとして中立を宣言。この中立の宣言によってフランコ将軍はドイツが1945年に敗戦したその後も独裁政権を維持することができました。

そしてスペインは独裁政権の後再び王政に戻るのですが、スペイン内戦は現代のスペインの政治に大きく関わる重大な内戦となったのでした。

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