その他の国の歴史ヨーロッパ

第二次世界大戦の前哨戦「スペイン内戦」とは?わかりやすく解説

フランスとイギリスの反応

スペイン人民戦線は最初ソ連と同じぐらいフランスの介入を期待していました。当時、フランスの内閣は左派政権であるブルム内閣であり、人民戦線側に全力で支援するだろうと踏んでいたのです。しかし、フランスの国内情勢はスペインよりもぐちゃぐちゃで右派の大統領や新聞がファシズム派の反乱が失敗に終わると当時フランスが植民地にしていたアルジェリアが危機にさらさられるとして人民戦線への介入に猛反発。さらに左派の中でもソ連と同調することを非常に嫌っている派閥もあったため、ブルム内閣は人民戦線の支援を断念。

さらにイギリスは当時保守党が政権を握っていたこともあって人民戦線に対してかなり懐疑的。そのためフランスと同じく支援をすることはありませんでした。

ドイツとイタリアの反応

フランスやイギリスが人民戦線に対する支援を断念している中、ドイツやイタリアはこのスペイン内戦に対して非常にノリノリでした。それもそのはず、この頃のドイツとイタリアはファシズム政権。さらに反乱軍の参謀であるフランコ将軍がドイツとイタリアのパイプを受け持ったこともあり、反乱軍への支援を約束。ドイツはこの当時編成してばかりであった空軍を始め大量の軍隊を義勇軍として派遣しました。

ソ連の反応

人民戦線にたくさん支援したのは人民戦線の結成を持ちかけたソ連でした。ソ連はドイツやイタリアが義勇軍という名目のもと多大な軍事支援を受けていることを受けて人民戦線への軍事支援を開始。人民戦線はこの支援を受けて戦いましたが、時同じくしてソ連ではスターリンによる赤軍大粛清が起こり、人民戦線への支援どころではなくなってしまいます。ソ連の支援が見込めなくなったことがのちの内戦の戦局に大きく関わることとなるのでした。

ポルトガルの反応

スペイン内戦はお隣の国であるポルトガルにも波及することとなり、ポルトガルがどちら側につくのが注目されましたが、運が悪いのがいいのかはわかりませんが1932年にポルトガルはサラザールによる独裁政権が確立。そのため反乱軍への協力を表明して反乱軍の兵站基地としての役割を果たすこととなります。

ポルトガルの援助があったのは反乱軍にとってはとてもでかく、この頃からスペイン内戦は反乱軍優勢となりました。

国際旅団の存在

これだけ見ると圧倒的に人民戦線の不利に思えますが、例えイギリスやフランスが支援を行わなくても個人で人民戦線に参加する人が絶えませんでした。

その人員の数は正確には分かっていませんが大体6万人の人が参加したとされており、その兵士の中にはのちにスペイン内戦の実情について書いた『誰がために鐘はなる』や『武器よさらば』などの小説を書くことになるアーネスト・ヘミングウェイやのちにド・ゴール政権にてフランス文化相を務めるアルドレール・マルローなどの著名な有名人も参加しており、さらには日本人もジャック白井を始め少数ながらも国際旅団のメンバーに参加した人もいました。

スペイン内戦の経過

image by PIXTA / 47529667

こうして各国の支援が確定しましたが、内戦は反乱軍の予想とは違い1939年まで続くこととなりました。次はそんなスペイン内戦がどのような経過を見せたのかを解説していきたいと思います。

次のページを読む
1 2 3 4
Share: