これだけは知っておきたい!日本の歴史のターニングポイント
また公家の時代に戻るのか?~承久の乱
鎌倉時代に入って間もなくの頃、源頼朝の血筋は三代で途絶えてしまいます。せっかく始まった武士の時代ですが、わずか数年で早くもピンチです。
源氏が途絶えた後、鎌倉を守っていたのは、源頼朝の妻である北条政子とその弟の北条義時を中心とした北条氏でした。
そのころ都では後鳥羽上皇が、朝廷の力を取り戻そうと暗躍。幕府の力が弱まったと見て、北条義時を打つよう指令を出します。しかしこのとき、大多数の武士や領主たちが北条氏に味方したため、後鳥羽上皇の思惑通りにはなりませんでした。
結局、後鳥羽上皇は失脚、北条方の勝利。朝廷の力はさらに弱まり、逆に幕府側の顔色をうかがうようになります。
この出来事により、武士たちの結束はますます固くなっていきました。
応仁の乱は誰のせい?~足利義教
鎌倉幕府から足利氏による室町幕府へ、時代は変わっても武士の世の中は継続。しかし室町時代は決して安泰とは言えませんでした。最も大きな問題は「将軍の跡継ぎ問題」。誰を次の将軍にするか、誰の味方になっておいたほうが得か、武士たちはそんなことばかり考えるようになっていたのです。
足利義政は長男ではありませんでしたが、兄や他の跡継ぎ候補が亡くなってしまったため、やむなく室町幕府八代将軍に就任。まじめで頭がよく芸術文化などにも長けた人物で、将軍として頑張ろうとしていたのですが、このときもう既に、周囲の派閥争いが収集付かない状態に。義政の理想の政治などできるはずもありません。
次第に政治に興味を失っていく義政。それをいいことに、有力武将たちが幕府内の権力争いや、次期将軍の後継者争いなどを繰り広げて好き放題。義政は見て見ぬふり。そしてとうとう「応仁の乱」が勃発してしまいます。戦乱は11年にも及び、京都の町を焼き尽くしてしまいました。
この戦乱で室町幕府の地位はガタ落ち。有力武将は権力争いばかりしていてあてにならないと、地方の下級武士たちがのし上がっていきます。これが世にいう「下剋上」。この後、時代は戦国の世へと移っていくのです。
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