現代文学の基礎と称される長編小説『ドン・キホーテ』を解説!スペインの文豪セルバンテスが描く滑稽小説の世界とは?
- 1.『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスとはどんな人?
- 1-1波乱万丈の人生は小説にも影響
- 1-2スペインでの生活
- 1-3貧乏暇なし?
- 1-4『ドン・キホーテ』ぱくられる!
- 2.『ドン・キホーテ』の書き出し文
- 3.『ドン・キホーテ』とは
- 3-1ユニークなタイトルが人々を引き寄せた
- 3-2ドン・キホーテは乗っ取られた?
- 3-3奇妙なユーモラスの連続
- 4.『ドン・キホーテ』あらすじ
- 4-1ドン・キホーテ狂人となる
- 4-2冒険の始まり
- 4-3従士を連れ旅立つ
- 4-4徐々に深刻化する後編
- 4-5帰ってきた善人キハーノ
- 4-6ドン・キホーテの最期
- 『ドン・キホーテ』は、世界で一番読まれた名作!読めば読むほど味がでる長編小説
この記事の目次
1.『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスとはどんな人?
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セルバンテスは、ドストエフスキーやディケンズなど、近代文学界に大きく影響を及ぼした人物です。ユーモアのセンスは抜群で、スペインの人々に小説の面白さを教えた人といっても過言ではありません。それでは、『ドン・キホーテ』の著者セルバンテスを、ご紹介しましょう。
1-1波乱万丈の人生は小説にも影響
「ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ」は、スペイントレド王国の大学都市アルカラ・デ・エナーレスで、1547年9月29日に誕生しています。父は貧しい外科医で、スペインやイタリアを転々としました。
22歳の時にイタリアへ行き、後期ルネサンスに触れ衝撃を受けたようです。レパント海戦に参加し、6年間スペイン、ヴェネツィア、ローマ教皇庁の連合艦隊の兵士として過ごしています。この海戦は、ギリシアコリント湾口のレパント沖で、1571年10月7日に当時強大だったオスマン帝国と戦った海戦です。西ヨーロッパが初めて勝利し、オスマン帝国の侵略をストップさせるのに大いに役立ったとか。レパントの海戦は、ガレー船が主力の大海戦として、最後の戦いでした。
この戦争でセルバンテスは、火縄銃で撃たれ一生左手が不自由になるほどの怪我を負います。「レパントの片手ん坊」と呼ばれるようになるも、彼は「右手の名誉を挙げるために、左手の自由を失った。」と、自慢げに話していたようです。
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1-2スペインでの生活
スペインに戻る途中に、トルコ(イスラム)の海賊船に襲撃され船の乗組員全員が連行。スペインの聖三位一体修道会が身代金を払い見受けするまでの約5年間、北アフリカのアルジェで捕虜生活を送りました。ルネサンスによる影響や捕虜生活などは、『ドン・キホーテ』の中に登場しています。
33歳になってようやくスペインでの暮らしが始まったのです。この頃マドリードでは、クルス劇場やプリンシペ劇場など、大きな劇場が建設され、大衆演劇が盛んに行われていました。セルバンテスも劇作をしており、『アルジェの捕虜生活』、『ア・ヌマンシア』、『海戦』三作を上演し成功します。この時代お得意の駄作への胡瓜投げも免れたようです。
この後の演劇活動は分かりませんが、1584年に18歳年下の妻を娶り家族を養うために1585年より、アンダルシアで無敵艦隊の食糧調達の職を得るも、スペイン無敵艦隊がイギリス国教会の海軍に負け職を失います。税金の取り立てなど役人として働きました。会計上の誤りで投獄され、獄中で『ドン・キホーテ』の構想を経て執筆を始めたようです。妻とは折り合いが悪く、家をでています。
1-3貧乏暇なし?
1605年57歳の時に、マドリードのファン・デ・ラ・クエスタ出版所から、セルバンテス不朽の名作『ドン・キホーテ』が出版されました。この作品は、初版から年内に6版を重ねるほどの大人気となります。1612年には英訳版を。1614年にはフランス版がでるなど、スペイン国内だけではなく世界中に発信され、現在でも愛好者は多く現代文学の基礎と呼ばれる存在になっています。
もちろん彼は、人気作家としての名誉を手に入れたのです。しかし、残念ながら生活のためか、版権を売却していたため大ヒットの恩恵は受けられませんでした。
1-4『ドン・キホーテ』ぱくられる!
1615年11月には、『ドン・キホーテ』の後編が発表され完結します。『ドン・キホーテ』の前編は、売れに売れまくり知らない人はいませんでした。もちろん、セルバンテスは、後編を書きます。後編では、「あの有名なドン・キホーテ様ですか?」と、会う人にいわれるほどの人気者になっているという設定です。
そんな彼に、信じられないことが起こります。偽の物語が出版されたのです。普通なら激怒し訴訟ものですが、彼は執筆途中の後編の文中(後編72章)にその現実を取り込んじゃいます。しかも、偽本を物語の中で痛烈に批判したのです。作家の喧嘩の仕方はこういう形がスマートなのかも。
翌年には、自身で「スペイン語で書かれた最良の、もしくは最悪の創作だ」といった長編小説『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』を完成させ、マドリードで1616年4月23日69歳の時に人生の幕を閉じました。
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ちょっと雑学
実はセルバンテスが逝去した1616年4月23日に、もう一人文学史上忘れられない人物がこの世を去っています。イギリス・ルネサンス演劇を代表する「ウィリアム・シェイクスピア」です。
このことを知ってか知らずかロシアのツルゲーネフが作ったとされる、人間の性格の型を表す言葉があります。シェイクスピアを代表する四大悲劇のひとつ『ハムレット』と、セルバンテスの代表作『ドン・キホーテ』をパロディった反対を著す型です。
ハムレット型…理想を追求するあまり、懐疑や苦悩にこもってしまう思索的な性格。
ドン・キホーテ型…空想的で無鉄砲で、ひとりよがりの正義感が強く、理想に突進する性格。