イタリアヨーロッパの歴史

「枢機卿」って何?ローマ・カトリックの重役のお仕事が5分でわかる!

「枢機卿」について、あなたはどれだけ知っていますか?テレビなどで見ることができるバチカンのミサで、赤い服を着てローマ教皇(法王)の隣にいっぱいいる、あの人たちです。10億人以上いるキリスト教最大教派ローマ・カトリック教会の最高位に限りなく近い人たち。何してる人?どうすればなれるの?枢機卿のこと、知っておきましょう。

枢機卿の基礎知識

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まずは枢機卿について基礎的な知識を。どんな仕事をする人たち?「すうききょう」と「すうきけい」読み方はどっち?どうすればなれるの?ローマ教皇とローマ・カトリック教会にとって大切な高官、枢機卿。どんな役職なのでしょうか。宗教に疎くなりがちな日本人だからこそ、ローマ・カトリックの赤い服を着た人たちのこと、知っておきましょう。

ローマ教皇の顧問として教皇庁を支える高官

世界一の規模を誇るキリスト教の教派、ローマ・カトリック。その中心地がバチカン(教皇庁、法王庁)です。ピラミッド型の教会組織の頂点に「使徒座の継承者」であるローマ教皇がいます。そのピラミッドの2番目、ローマ教皇の下にいる高官、教皇の補佐役をするのが枢機卿です。

ところで読み方はどっちなのでしょう?ものの本を読むと枢機卿の読みは「すうきけい」「すうききょう」の2種類があります。これは「すうききょう」が正解。彼らの身につけている緋色(赤)の服は「カーディナルレッド」と呼ばれるもので、神と教会のためにいつでも命を捧げる覚悟があるという、殉教の意思を持った血の決意の色です。

仕事の内容は主にローマ教皇の仕事の補佐。これがかなり大変です。ローマ教皇はバチカン市国の国家元首として、世界中におもむいたり偉い人と謁見したり。毎週日曜日のミサ(礼拝)では儀式や信徒の祝福、説教。世界情勢に目を配って平和と対話を呼びかけます。そのほかバチカン市国の9つの省庁、裁判所、12の評議会をローマ教皇は取りまとめるのです。世界と12億人の信徒、そして神に対する重責を担う教皇を支え、教会と信仰を守るのが、枢機卿たちの使命なんですよ。

どんな人がなれるの?

選ばれし者だけがなれる……そんなイメージの枢機卿。どんな人がなれるのでしょうか?答えは「ローマ教皇が選んだ人」。実は1918年まで枢機卿は、ローマ教皇が選びさえすれば聖職者以外もなることができました。現在は司祭叙階を受けて正式に聖職者になった人しか枢機卿になれない仕組みですが……これについては後ほど詳しく見ていきましょう。

カトリックの聖職者には様々な段階があります。枢機卿の階級に助祭枢機卿・司祭枢機卿・司教枢機卿の3種類。助祭枢機卿の人が実際に助祭で、司教枢機卿が司教の位を持つのではなく、これは係長、課長、局長のようなニュアンスでの呼ばれ方です。

後述する枢機卿の業務内容から、神学に堪能でかつ政治能力にも長けていることは資質として必要不可欠。とはいえ厳密な選考基準はわかっていません。ローマ教皇が自由に任命できる役職だからです。枢機卿の顔ぶれから、その時その時のローマ教皇の思想や政治傾向をうかがうことができます。

枢機卿の持つ歴史

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そんな枢機卿の歴史は古く、5世紀にまでさかのぼることができます。最初はローマ教皇のアドバイザーとして集められた人々でしたが、のちには貴族や聖職者の身内を中心に聖俗問わず選ばれる役職として発展しました。キリスト教、そして西洋の光と闇のかいま見える枢機卿の歴史をたどりましょう。

「枢機卿」が生まれた理由

カタコンベで神に祈り、財産を平等に分かちあう素朴な教団だった初期キリスト教教会。それがトップダウンの組織として成長していったのは、古代ローマ帝国で国教になり勢力を一気に拡大させてから。組織を運営するには政治に長けた人材が必要です。

ローマ教皇は、イエス・キリストの一番弟子聖パウロの後継ぎという立ち位置(この「使徒座の継承権」をめぐって東方正教会と大喧嘩し、互いを破門したのが11世紀のこと。20世紀に和解)。キリスト教が強い組織として結束し世界中に広まるために、枢機卿というアドバイザーが必要だったのです。

当初、枢機卿はローマ近郊から選ばれていました。が、キリスト教が世界宗教として広まっていくにつれて、世界中から選ばれるようになります。とはいえ一時期までは西洋圏の枢機卿は少なく、アフリカやアジア、中南米から高位聖職者が排出されるようになったのはごく最近。いつか有色人種の教皇が誕生するのでしょうか。

その昔、枢機卿には誰でもなれた!?

中世。ローマ・カトリックの権力は頂点を極めます。枢機卿はこの時代、男子ならば誰でもなれるものでした。選挙があるわけでもなく、任命権はローマ教皇1人にあるのですから、バチカンの意にかなえば聖職者でなくてもなれるものでした。

イングランドやフランスでは宰相あるいは主席閣僚といった重要な役職を務める人が枢機卿だった時期があります。フランスの宰相リシュリューやマザランは世界史の教科書にも出てくる名前ですね。

近世までの枢機卿の中でも有名なのが、チェーザレ・ボルジアです。なんと教皇アレクサンデル6世の実子!ヨーロッパで一番偉い父のもとで枢機卿の位につき、混迷のルネサンス末期のイタリア統一を成し遂げようとしました。チェーザレに心酔したマキャベリは後に名著「君主論」を著すのです。しかしこのままではローマ教皇の都合の良い政治ばかりまかり通ってしまいます。ダメだ、なんとかしないと。そうしてはじまったのが宗教改革ですが……それはまた別の物語です。

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