幕末日本の歴史江戸時代

「小御所会議」とは?大政奉還や王政復古の大号令との関係は?わかりやすく解説

黒船来航、公武合体、日米和親条約、安政の大獄、桜田門外の変、八月十八日の政変、蛤御門の変、薩長同盟、五箇条の誓文……。幕末から明治にかけて、本の数年間の間に様々な事件や出来事が相次いで起きています。社会科の授業でいろいろ習ったような気がするけど、どれも覚えにくい名前の出来事ばかりで……。確かに、日本史に登場する事件や出来事って難しい名前のものが多くて、内容と結びつかないことが多いですよね。今回はそんな中から、「大政奉還」「王政復古の大号令」そして「小御所会議」の3つをセレクト。特に「何の会議だったっけ?」となりがちな「小御所会議」に重点を置いて、詳しく解説していきます。

揺れる幕末!「小御所会議」が開かれるまで

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260年以上続いた江戸時代が終わりに近づき、新しい時代が幕を開けようとしていた頃、世の中は日一日と目まぐるしく変わっていきました。そんな中、新しい政府が誕生し、主要な人物が集まって今後進むべき道を話し合ったという重要な会議が「小御所会議」でした。この会議の表向きの主題は「王政復古の後、これからどうするか」。でも本当の狙いは「徳川慶喜をどう処分するか」でした。いったいどうしてそんな会議が開かれることになったのでしょうか。まずは「小御所会議」が開かれる前に起きた「大政奉還」と「王政復古の大号令」についてしっかり押さえておきましょう。

将軍やめます!突然「大政奉還」した徳川慶喜

小御所会議までの流れで、一番最初に抑えておきたいのが「大政奉還(たいせいほうかん)」です。

大政とは、天下の政(まつりごと)のこと。

奉還とは、天皇にお返しすることを意味します。

慶応3年10月14日(現在の暦では1867年11月9日)、15代将軍徳川慶喜が天皇に「政権をお返しします」と言って実際に政権を返上したことが「大政奉還」です。

ではなぜ慶喜は大政奉還を?

その理由は、簡単に言えば「幕府を憎む連中から身を守るため、争いを避けるため」。どういうことなのか、当時の様子を少しだけ覗いてみましょう。

260年以上続いた徳川政権。江戸幕府は長きにわたり日本を統治してきましたが、諸藩の中にはそんな幕府に対して不満を抱く者も少なくありませんでした。

厳しい身分制度に翻弄され続けてきた下級武士たちの不満が爆発寸前だったことも大きな理由ですが、情勢が大きく動いた要因はやはり、黒船来航でしょう。

ここで初めて日本人は、異国の脅威というものに直面します。それに対する江戸幕府の腰砕けな対応。幕府にはがっかり。もうこんな幕府、いらなくね?いろいろな不満が爆発し、長州藩など過激な行動に出る藩もありました。

このまま将軍を続けていたら、倒幕に殺されてしまうかもしれない……。大きな戦争になってしまうかもしれない。異国の脅威が迫っているときに、そんなことをしている場合じゃありません。

徳川慶喜は徳川家康の再来と呼ばれるほどのキレモノ。倒幕の動きがあることを察知し、警戒を強めていたと考えられます。

そんなときに、慶喜に大政奉還を薦める者がいました。土佐藩の重鎮・山内容堂です。容堂公に知恵を授けたのは坂本龍馬だったといわれています。

大政奉還をすれば、家康公より15代続いた徳川幕府を終わらせることになってしまう。でもこれで国内での争いを避けることができる。異国の脅威の前に、今は日本人同士争っている場合ではない。

徳川慶喜にとって大政奉還は、悩みに悩んだ末のことだったと伝わっています。

肩透かしをくらった薩長倒幕派の藩士たち

慶喜の大政奉還に驚いたのが、倒幕に動いていた藩士たちでした。

薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、そして公卿の岩倉具視など。幕末から明治にかけて活躍したスター揃いです。

異国に対抗できる強い国にしたい。その一心で、今日まで苦労を重ね、断腸の思いで倒幕を決意したばかりだったのに……。

考えてみれば、倒幕派も佐幕派も「異国に負けない強い日本を作らねば」という思いは一緒のはず。向いている方向が違うだけなのです。

幕府と幕府派の人々は、これからも幕府中心の政治がいいと思っています。

朝廷は、そろそろ幕府には引っ込んでもらって、天皇中心の世の中にしたい。

そして、カリスマ藩主・島津斉彬を筆頭に存在感を増してきた薩摩藩は、幕府も諸藩もみんな天皇の下に入って一緒に政治を行う世の中にしたいと考えていたようです。

みんなバラバラ。しかも、幕府にはもう、みんなをまとめる力はありません。

こうして時が経つにつれ、諸藩はいくつかの派閥に分かれ、意見の違う藩同士反目しあうようになってしまったのです。

何とか、天皇を中心とした世の中に戻し(王政復古)強い国にしたいと考える薩摩藩は、とうとう武力を行使して徳川幕府を倒すことにします。でもいきなり攻撃を仕掛けたりしたら、単なる暴徒とみなされてしまうので、ちゃんと天皇から「倒幕」のお許しをいただいて、それから兵を集めて、といろいろ準備を進めていたら、その矢先に……。

慶喜が大政奉還しやがった!うそでしょ?!どうすんの?

倒幕に動き出そうとした矢先、倒す相手(徳川幕府)が無くなってしまったのです。

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