ローマ五賢帝の一人・ハドリアヌス帝の功績とは
ハドリアヌスとはローマ帝国皇帝のひとり。ルーヴル美術館に収蔵されているブロンズ製の頭部の肖像を見る限り、きりっとしていてかなり男前。漫画『テルマエ・ロマエ』でもお馴染みの、あの皇帝です。今から1900年くらい前のローマで、大規模な都市計画を行い、内政改革に尽力した有能な皇帝として語られています。ローマに平和と安寧をもたらした賢帝とはどのような人物だったのでしょうか。今回はそんなハドリアヌス帝が行った事業や功績にスポットをあて、どのようにしてリーダーシップを発揮したのか詳しく探ってみましょう。
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五賢帝の3番目・第14代ローマ皇帝に即位
プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス(76年~138年)はローマ帝国の最盛期を築いたと言われる皇帝です。
先代のトラヤヌス帝とは血縁(従兄弟の子)関係にあることから、トラヤヌス時代から側近を務め、政治の最前線で活躍していました。
トラヤヌスといえば武力・軍事力を用いて地中海沿岸部をぐるりと掌握し、ローマ帝国の領地拡大に尽力した偉大なる皇帝。ローマの全盛期を築き、後世においても最も優れた皇帝として尊敬され称えられる偉大なる人物です。ハドリアヌスは若い頃からトラヤヌスの側で能力を発揮し、数々の役職を歴任します。
しかし、常勝・トラヤヌスも病には勝てません。体調を崩したトラヤヌスは、ハドリアヌスを後継者に指名し、間もなくこのを世去ります。117年のことでした。
ローマ帝国には、1世紀末から2世紀後半頃、地中海全域を手中におさめたことで「パクス・ロマーナ」と呼ばれる平和な時代が続きます。この時代に即位した皇帝を、ローマに平和で幸福な時代をもたらした皇帝として「五賢帝(ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス)」と称えることが多いです。
ハドリアヌスは五賢帝のうちの一人。トラヤヌス時代に領土最大期を迎えたローマ帝国を、ハドリアヌスはどのように統治していったのでしょうか。
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ローマ帝国史上最大!領土の平準と安定に尽力
既に述べたように、先代のトラヤヌス帝の時代にローマ帝国の領土は帝国史上最大にまで広がっていました。
ヨーロッパ大陸から中東、アフリカ大陸側まで、地中海沿岸部をぐるりとすべて支配下に治めたローマ帝国。ただ、トラヤヌスはトルコ方面に遠征中に病に伏せるようになったため、エジプトよりさらに東側の地域との紛争がまだ収まっていませんでした。
東方に攻め入って更なる領地拡大か?と思いきや、ハドリアヌスはトラヤヌスの「領地拡大路線」から方向転換。遠征を止め、領地内の内政強化と安定に力を注ぎます。
現状維持、といっても、既に広大な領土を持つローマ帝国。国境の整備だけでも大仕事です。特に東方には強豪国が戦々恐々。トラヤヌスは「攻撃は最大の防御」と言わんばかりに遠征に精を出していましたが、ハドリアヌスは守りに徹し、内政を強化。トラヤヌスとは異なる方針を打ち立てて、ローマの平和のために力を尽くしたのです。
強い国づくりは内政から・行政制度の整備
領地拡大路線から内政整備へと進路を定めたハドリアヌス帝。当時のローマ帝国は強大な力を持っていましたが、国内の政治体制や属州となった地域との関係など、多くの問題を抱えていました。ハドリアヌスはこうした問題にも積極的に取り組み、様々な改革を行っていったと考えられています。
帝国内の官僚体制や統治機構など、政治を司る機関や役職を整備。国境の整備とともに、内政の見直し・強化にも余念がありません。
さらに、ハドリアヌスは「法制度の整備」にも着手。『永久告示録』と呼ばれる法典を編纂し、帝国内の法律の整備を推し進めました。
この法典はハドリアヌス退位後も、数世紀に渡ってローマ帝国の司法の礎となり、その流れは6世紀半ば、東ローマ帝国のユスティニアヌス帝の時代に編纂された『ローマ法大全』へと受け継がれていきます。
ローマ都市計画!多くの建造物を建設する
ハドリアヌスの時代、ローマには100万人を超える人口があったと言われています。拡大する領土の統治も課題ですが、都市部の生活をどのように維持するか……これも大きな課題となっていました。
そこでハドリアヌスは、ローマの都市計画を慣行。生活の利便性を重視し、機能的で住みやすい都市整備を行いました。
その一環として、ハドリアヌスは数多くの建造物を造営。ローマ市内に現在も残る「パンテオン神殿(紀元前25年頃、初代皇帝の時代に建造された神殿)」の再建を行ったほか、古代ローマ最大の神殿と称される「ウェヌスとローマ神殿」の建造など、ローマ市内及び周辺の属州地に数々の建造物を造らせています。
神々しい神殿が鎮座する、神に守られしローマ。こうした都市計画は、ローマ市民に平和と安定をもたらすだけでなく、皇帝としての権威を高める目的があったと思われます。
旅する皇帝・属州地を何度も隅々まで視察
ハドリアヌスは別名「旅する皇帝」とも呼ばれています。
皇帝即位後から晩年を迎えるまでの間に、少なくとも2度、ローマ都市部を離れ、帝国の領地を巡る大旅行を慣行しているのです。
ガリア、イスパニアなど西方地域から、トルコやエジプトなどの東方、地中海を挟んだ対岸に当たるアフリカ地域など、紀元120年頃にしては破格のスケールで行われた皇帝遠征。ハドリアヌスは「ローマにほとんどいなかった皇帝」と呼ばれることもあるのだそうです。
この旅の目的は、国境付近の防衛の整備や各地の統治の状況の視察などさまざま。広大な領地を隅々まで巡り、特に他国の文化風習の影響を受けやすい遠方地域に目を光らせていました。
また、建築に精通した技術者を同行させたこともあり、旅先で土木工事や建造物の建築作業を行わせることもあったと伝わっています。