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「マルタ会談」とは?歴史上どんな意味があった?わかりやすく解説!

米ソ冷戦の終結を宣言した歴史的な首脳会談として知られる「マルタ会談」。その舞台となったのは、地中海に浮かぶ美しい島国「マルタ共和国」でした。実は筆者のペンネーム(malta)もこの国名に由来したもので、思い入れのある場所の一つです。今回は「マルタ会談」の歴史的意義と共に、マルタ共和国の魅力もご紹介していきましょう。

マルタ会談とは?

Bush and Gorbachev at the Malta summit in 1989.gif
By David Valdez (1949-) – This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 186405., パブリック・ドメイン, Link

マルタ会談とは、1989年12月2~3日に、マルタ共和国で行われたアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦両国の首脳会談。参加したのは、アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュとソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフでした。

ジョージ・H・W・ブッシュ氏は、米国第41代大統領として冷戦終結させた他、パナマ侵攻や湾岸戦争を指揮したことでも知られる人物。激動の時代を率いた大統領として記憶に残っている方も多いでしょう。なお、アメリカ同時多発テロがあった2001年当時の「ブッシュ大統領」は息子であるジョージ・W・ブッシュ氏で別人です。

ミハイル・ゴルバチョフ氏は、ソ連最後の最高指導者として知られています。ペレストロイカ(改革)やグラスノチ(情報公開)により、停滞してしまったソ連を民主的な方向に導き、世界平和に大きく貢献しました。その功績から1990年にはノーベル平和賞を受賞しています。

ヤルタからマルタへ(”From Yalta to Malta”)

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マルタ会談とよく似た名前の会談にヤルタ会談があります。こちらは、第二次世界大戦中の1945年2月4~11日にかけて、当時ソ連であったクリミア半島の街ヤルタで開催されたアメリカ・イギリス・ソ連の三国間の首脳会談です。会場となったリヴァディア宮殿には、3か国の首脳であったルーズベルト(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)が集い、大戦後の処理について話し合いがもたれました

会談の結果、国際連合の設立、ドイツの戦後処理、ポーランド問題、日本の戦後処遇などで合意した3国はヤルタ協定を結びます。後にこの体制は、アメリカを中心とした西側の資本主義国陣営とソ連を中心とする東側の社会主義国陣営の対立を生み出し、東西冷戦へとつながっていったのでした。「ヤルタからマルタへ」という言葉は、ヤルタ会談から始まった米ソの冷戦が、マルタ会談まで続いたことを表しています

歴史上どんな意味があった?

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ヤルタ体制が築かれた1945年から44年に渡り、米ソ間では冷戦状態が続いていました。冷戦とは「冷たい戦争(Cold War)」の略語で、経済面での対立や軍事開発での対立により両国が緊張状態であったことを意味します。直接的な武力対決はなかったものの、両国がそれぞれ対立国を支援した朝鮮戦争やベトナム戦争も勃発していました。

マルタ会談は「冷戦の終結」という歴史上大きな意味をもつ会談です。ブッシュ、ゴルバチョフ両氏はこの会談で、世界情勢や両国間で起こっている問題について自由な意見交換を行いました。そしてついに冷戦に終止符が打たれることになったのです。その後、バルト諸国をはじめとする東欧諸国の独立が続き、1991年12月にソ連は解体。マルタ会談は世界情勢を大きく変えたターニングポイントであったと言えるでしょう。

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