EU(ヨーロッパ連合)とは?成り立ちや仕組み・問題点などわかりやすく解説
EUの成り立ち
EUは第二次世界大戦後のヨーロッパで誕生した国際組織です。現在はヨーロッパの多くの国が加盟していますが、はじめはオランダ・ベルギー・ルクセンブルク(まとめて、ベネルクス3国という)といった小さな国々の集まりからスタートしました。ベネルクス3国とフランス・ドイツ・イタリアが結びつくことでEUの原型であるEC(ヨーロッパ共同体)ができました。
冷戦下のヨーロッパ
19世紀には世界の大半を支配下ヨーロッパ諸国。しかし、二つの世界大戦はヨーロッパを荒廃させました。第一次世界大戦の結果、敗戦国のドイツはもとより戦勝国のイギリスとフランスはアメリカに多額の借金を作りました。
第二次世界大戦でヨーロッパは第一次世界大戦よりも大きな被害を受けます。第二次世界大戦後に開かれたヤルタ会談では、アメリカ・ソ連の二大国による世界分割が確定しました。西ヨーロッパ諸国はアメリカの支援計画であるマーシャル=プランに従って経済復興を遂げます。
一方、東ヨーロッパ諸国はソ連の衛星国となりました。米ソ両大国によって分断されたヨーロッパ。大国に対抗するためにはヨーロッパの国同士での団結が必要だとの考えが芽生え始めます。
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ECができるまで
1948年、ベネルクス3国は関税同盟を結成し経済的な関係を深めました。この結びつきがEUの始まりです。1950年、フランス外相のシューマンがヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を作る構想を提唱。シューマンプランとよばれました。
西ドイツもシューマンプランに賛同した結果、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が生まれます。1957年、ベネルクス3国とフランス・イタリア・西ドイツはローマ条約を締結し、ヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)ができました。これら3つの組織は1967年に統合されEC(ヨーロッパ経済共同体)が成立します。
ヨーロッパ諸国が団結を強めた背景には冷戦で二強となったアメリカとソ連に対抗したいという思惑がありました。当初6カ国で始まったECは徐々に拡大していきます。マーストリヒト条約調印の直前には加盟国は12カ国まで増えていました。
マーストリヒト条約の調印とEUの成立
1992年、ヨーロッパ諸国はローマ条約を発展させたマーストリヒト条約に調印しました。マーストリヒト条約はEUの基本法です。条約の内容は
1,ECを発展的に解消してEUに改める。
2,共通の外交・安全保障政策を実施する。
3,単一の通貨を導入してヨーロッパ全体を一つにまとめる市場をつくる
4,ヨーロッパ議会をつくる。
といったものでした。
EUの加盟国はどんどん拡大していきます。2003年には15カ国3億2073万人だったものが2017年には28カ国5億1246万人にまで膨れ上がりました。わずか14年で1.6倍に成長したのです。
スウェーデン・デンマーク・イギリスなどを除く国々では共通通貨EURO(ユーロ)が導入されました。かつては国境を越えるごとにお金を両替しなければなりませんでしたが、現在はその必要がありません。マーストリヒト条約の成果は確実にでているのです。
シェンゲン協定
EUを理解するうえで重要なのがシェンゲン協定の理解です。シェンゲン協定は1995年に結ばれた協定で、加盟国間での人の移動を自由にしました。域内の移動であればパスポートやビザがなくても各国の国境を自由に往来できるようにしたのです。
人やモノ、お金の往来が自由になったEUの域内では経済活動が活発化しました。EU内の貿易は盛んで、貿易額の3分の2は域内貿易です。通貨が同じで、関税がなく、人の往来も自由となればまるで一つの国のようになり貿易が盛んになるのも当然のことでしょう。
その一方、問題点も指摘されています。その問題とは比較的国境管理が緩い東ヨーロッパの加盟国から流入した難民が西ヨーロッパに流れ込むこと。ドイツやフランスでは移民の規制強化を訴える人々が勢力を拡大。域内の自由通行は曲がり角に来ているのかもしれません。