教養歴史

残念な死に方をしてしまった歴史上の人物6選を解説

歴史上の人物といったらやっぱりきらびやかな世界で生涯を生き抜き、そして最期を迎えるというイメージがあります。偉人もなんだかんだで人間。時々偉人の中には「なんちゅう死に方してるの」と突っ込みたくなるような死に方を迎えてしまったこともあるのです。今回はそんな死に方をしてしまった6人の人物を紹介していきたいと思います。

残念な死に方をした偉人たち

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では、さっそく紹介に移りたいのですが皆さんにとって残念な死に方とは何でしょうか。不慮の事故や暗殺など死に方にもいろいろありますが、今回はいろんな死に方のうち特に残念な人たちを紹介していきます。

#1 いたずらは致命傷のもと 四条天皇

最初にご紹介するのは第87代天皇である四条天皇です。まずはこの人がどんな人だったのかを見てみましょう。

この当時天皇の血筋は結構ぐちゃぐちゃでした。なぜかというと四条天皇として即位するちょっと前に承久の乱という鎌倉幕府と朝廷との間で争いごとが起きて、その当事者である後鳥羽上皇が隠岐に流されてしまいました。ですので幕府は「後鳥羽上皇の家系の人を天皇にしたらまた反乱を起こされてしまう!」と思い、承久の乱にあんまり関係なかった守貞親王という人の息子を後堀河天皇として即位させました。四条天皇はその後堀河天皇の息子に当たります。

しかし、父親である後堀河天皇は四条天皇が4歳の時に死去。本来なら4歳の人が天皇なんてありえないのですが、天皇として継げる人がこの人しかいなかったため朝廷の未来はこの人にかかっていると言ってもおかしくありませんでした。しかし、この四条天皇はわずか12歳で死去してしまいます。実はこの死んだ理由がとんでもなく酷いものでした。

とある日、四条天皇は御所の廊下にとても滑る石をまいて天皇のために仕えていた女中たちを転ばすいたずらをしようと考えていました。まぁ、12歳ですからこんないたずらをしたくなる気持ちはわかります。でも天皇ですよこの人。でも、なかなか女性は通らず飽きてしまった四条天皇はさっさと退散しようとしていました。ところがなんということでしょう。四条天皇は自らまいた滑る石に見事に引っかかって頭にクリティカルヒットしてしまったではありませんか!

これが致命傷となり四条天皇はその後死去。あれだけ大事なことだったのに四条天皇は子供を残さず守貞親王の家系は断絶してしまいました。

#2 戦国時代のボンバーマン 松永久秀

次にご紹介するのは大和国の大名。松永久秀です。この人は三好家の家臣だったのにもかかわらずあれよあれよと出世して行き最終的には三好家から独立して一人前の大名となったすごい人物でした。しかし、なんでそんな彼がボンバーマンと呼ばれているのかというと彼の死に方が本当にボンバーな感じだったからです。

1577年松永久秀は織田信長に謀反を起こしたことによって居城の信貴山城というところを攻められていました。その数なんと5万。勝ち目なんてありません。しかし、信長はなぜか久秀に対して彼が持っていた名茶器中の名茶器であった平蜘蛛の茶釜を渡せば許すといってくれます。信長って結構裏切り行為を絶対に許さない人だと思いがちですが、なんだかんだで裏切りには甘い方なんですよこの人。

しかし、久秀はこの茶器を渡すくらいなら死んだほうがマシだと思いこれを拒否。さらにあろうことか久秀は茶器に火薬を詰め込んで首にくくりつけて爆破。天守閣が吹っ飛ぶほどの威力を出して爆死してしまいました。ちなみに爆弾を使って死亡した例はこの人が日本初だそうです

#3 嫌われすぎに注意 ゼノン

次にご紹介するのは東ローマ皇帝であったゼノンです。この人は東ローマ帝国内で反乱が起きたのにもかかわらず、再び皇帝に返り咲いたすごい人でした。一体何が残念だったのかというと彼の人望のなさがとある悲劇を生んでしまったのです。

彼は皇帝に返り咲いた後何とか反乱を起こそうとした人に対して徹底的な弾圧を加えていました。そしてそのままゼノンはこの世を去るのですが、そのせいで彼の人気はないにも等しいものだったそうです。しかしゼノンはなんと棺に納められた後に土壇場で息を吹き返して生還を果たします。生還を果たしたのだから棺から出してもらって一件落着かと思いきや、なんと彼を憎んでいた人たちは彼が生き返っていたことを知っていたにもかかわらずそのまま地面に埋めて葬り去ってしまったのです。ゼノンはこの時ようやく自分がやった過ちを理解して「許してくれ!」と叫びまくりますが無視。結局埋められて死んでしまいました。

人望のなさはのちに自分のところに帰ってくる。そんなことを彼は身をもって体現してくれたのかもしれません。

#4 悲劇詩人の悲劇 アイスキュロス

次に紹介するのは古代ギリシアの三大悲劇詩人の一人として数えられているアイスキュロスです。代表作はオレステイア三部作という悲劇ものの劇で見た人もいるかもしれません。

しかし、この人自身が悲劇的な死を迎えてしまったのです。オレステイア三部作の上演が終わったのちからはシチリア島に移住して悠々自適な生活を送っていました。そんなある時外を歩いていると突然空から硬い硬い甲羅が降ってきたではありませんか!そして彼は避けきれず甲羅が脳天に直撃してしまいそのまま死んでしまいました。

実はこの甲羅を落とした犯人はハゲワシ。ハゲワシは賢い鳥で餌として取った亀の甲羅が硬いと知っていたため岩にぶつけて割るという習性を持っていました。ハゲワシは彼の頭のことを岩みたいだと思ったしまったんでしょうね。ハゲワシの勘違いから生まれた悲劇でした。

#5 タイミングの悪さ世界一 ディートリヒ・フォン・ヒュルゼン=ヘーゼラー伯爵

次にご紹介するのはディートリヒ・フォン・ヒュルゼン=ヘーゼラー伯爵です。この人はドイツ帝国の陸軍大臣を務めているお偉いさんの中のお偉いさんでした。一体何が残念だったのかというと彼の死んだそのタイミングがかなり酷がったのです。

とある日この人はドイツ帝国皇帝であるヴィルヘルム2世が出席する晩餐会で余興をすることになっていました。陸軍大臣がそんなことして国民が納得しないと思うんですが、しかもその余興の内容がバレリーナの服装をして踊るというものでした。おっさんがそんなことしても誰得なんですがね。そしてその踊る時に突然心臓麻痺で倒れてしまいそのまま亡くなってしまいます。もちろんこの人は病院に運ばれましたが、バレリーナの格好になっている50歳を超えている陸軍大臣が心臓麻痺で病院に運ばれたなんて外国にバレてしまったら国の恥ですよ。

#6 決闘で数学の進歩を遅らせた天才 ガロア

次にご紹介するのは天才的数学者エヴァリスト・ガロアです。この人はガチの天才でガロア理論という数学の理論を提唱したすごい人でした。

なんでそんな人がこんなところに名を連ねているかというとこの人の死因がなんと決闘だったのです。決闘ってなんかいい響きですよね。今そんなことやったら決闘罪となって犯罪となってしまいますが、昔のフランスやイギリスなどはごく普通に一対一のタイマン対戦が行われていました。さらにその決闘を起こした理由というのが凄まじいものでなんと女性問題が起き、その女性を巡って争ったというのです。

決意は素晴らしいものでしたが、それが勝負の結果につながるというとそれはなく彼は物の見事に負けてしまいそのまま亡くなってしまいました。さらに悪いことにその時ガロア理論がまだ完成していない状態だったためガロア理論の正体は謎のままに。ガロア理論が完全に証明して完成したのは彼が亡くなってから50年後のことでした。

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