何をやっても救われない?キリスト教の教派「カルヴァン派」を解説
宗教改革とジャン・カルヴァンの物語
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16世紀。ヨーロッパに宗教改革の嵐が吹き荒れます。ローマ・カトリック教会一強だった世界に、新しい教派(宗派)「プロテスタント」が登場。パワーバランスが崩れたのです。三十年戦争などのカオスを巻き起こした宗教改革ですがなぜ起こったのでしょう?そしてカルヴァン派(カルバン派、カルヴァン主義、カルビン派)を作ったジャン・カルヴァンってどんな人だったのでしょうか。
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カトリック?正教会?プロテスタント?
まず当時のヨーロッパとローマ・カトリックについてのおさらい。最初は仲良く1つだったキリスト教初期教会も、時代の流れとともに神学的政治的な分離が進んでいきました。11世紀に東西の教派がお互いを破門する「教会大分裂(大シスマ)」が起こります。これによって西方教会と東方正教会にヨーロッパ世界は分かれたのです。東方正教会は東欧を中心に活動し、静かに伝統を守って現在に至っています。が、ローマ・カトリックはそうではありませんでした。
ローマ・カトリックはイタリア半島のローマ、バチカンに本拠地を置きます。西ヨーロッパを中心に活動したカトリックの修道院や教会、大学では、スコラ哲学をはじめとした学説の発展や議論が盛んでした。そんな中、ローマ教皇(法王)の政治的権力を強める理論であるウルトラモンタニズムや教皇至上主義が登場。ローマ教皇は神の代理人として覇権を振るうのです。
たまったもんじゃないのは世俗の王や一般の信徒たち。ローマ教皇に都合の悪い皇帝を破門したり、贖宥状(免罪符)があれば何やってもだいたい許されたり、高位聖職者が愛人を堂々と囲っていたり。カトリック、おかしいでしょ!そんな状態が何世紀も続き、1517年にマルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルクに公開した「95ヶ条の論題」、そしてグーテンベルク印刷機で聖書が広く刊行されたことから時代は動くのです。
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カリスマ神学者ジャン・カルヴァンの「キリスト教網要」
「なんとかしないと」の状態だったヨーロッパ、フランス北部の法律家の家に1509年、ジャン・カルヴァンは生まれます。名門パリ大学で哲学や神学を学ぶ安定のインテリコースを歩んだ彼は25歳の時に「キリスト教網要」を出版。これは、キリスト教世界を変える書物として大ベストセラーになりました。
「キリスト教網要」は、マルティン・ルターがドイツのヴィッテンベルク市で95ヶ条の論題を公開した19年後の1536年に出版された組織神学論の書物。時代はまさに宗教改革の真っ只中!ドイツ農民戦争やルーテル派(ルターの神学思想を汲むプロテスタント教会の一派)教会の確立が行われ、宗教改革は第二段階に入っていたのです。
カルヴァンの「キリスト教網要」は西洋世界のプロテスタントの背中を押す、すごい本でした。革命には思想という青写真が不可欠。「キリスト教網要」という組織神学論の書物があったことが原動力になって、プロテスタントは一気に発展を遂げました。それほどすごい本を書いたジャン・カルヴァンを人々が放っておくはずがありません。
カルヴァンによるジュネーヴでの神権政治
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宗教改革の本場ドイツのお隣、スイス。その首都ジュネーヴに、カルヴァンは市民に請われて留まることになりました。そこではじめたのは、神権政治。ジュネーヴ市民の願いによって行われた30年にわたるカルヴァンの神権政治では、私生活の細かな部分まで戒律や教義を行き渡らせる厳しい市民社会が構成されました。
ルターが「聖書に立ち返ろう」と信仰の改革をしたのに対し、カルヴァンは組織改革を徹底して行ったのが特徴。キリスト教初期教会にあった「長老」という立場を復活させました。ちなみに後年、大陸で発達したのが「改革派」、スコットランドで発展したのが「長老派」です。
順調に勢力を伸ばすカルヴァン派。その歴史にとって汚点であるのが、神学者ミゲル・セルベートの処刑です。セルベートは異端的な神学思想の持ち主で、カルヴァンが「生かしてはいかない」とまで嫌悪していた人物。そのセルベートがジュネーヴを来訪した途端、特別な罪は犯していないのに火刑に処されてしまったのです。ただ単に、カルヴァンにとって良くない人物だったという理由で……。カリスマ指導者カルヴァンは市民や世俗権力者から絶大な支持を得ていました。この様子を作家のシュテファン・ツヴァイクは、ヒトラーのナチス統治下におけるベルリンのような、絶対的権力者が采配を振るうものだったと分析しています。ジャン・カルヴァンは1564年に亡くなりました。その後、カルヴァン主義は神学者ツヴィングリによって引き継がれ、発展していくのです。