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5分でわかる!分断と統一の「ドイツ」の歴史をわかりやすく解説

敗戦後のドイツ

敗戦後のドイツはまさに地獄とも言ってもいいような状況に追い込まれてしまいます。まずはヴェルサイユ条約による賠償金・領土縮小・軍備の制限の三点セットがドイツを苦しめました。特に賠償金は1320億マルクというドイツの年間国家予算の3年分ぐらいに匹敵する「どないすれば払えるねん」と言いたくなるようなレベルの賠償金を支払わなくなってしまい、さらに1923年にはフランスがドイツが賠償金を支払っていないことを理由にドイツ一の工業地域であるルール地方を占領するなどを行うとドイツの工業は一気に壊滅に追い込まれハイパーインフレと呼ばれる一大インフーレションが巻き起こってしまったのです。

この時のドイツは一個のパンを買うために1億マルクぐらいの札束を持ち歩かなければならず、「暖炉用の薪を燃やすよりも札束を燃やした方が効率的」や「お金を作る紙の方が価値が高い」というお笑いレベルの伝説を残してしまいドイツは国家として破綻してしまいました。

ヒトラーの台頭

こんな状況の中で政府は何にも対策をしておらず国民の中では「何が共和制だ!優秀な独裁者が出てきて経済を立て直して欲しいな~」「ドイツを再び偉大な国家にして欲しいな~」みたいな声がどんどん上がっていきました。

そんな状況の中で『それならこいつをやろう』と神がドイツに送ったみたいにとある一人の独裁者がドイツを救うためについに立ち上がります。その独裁者こそがヒトラーでした。

ヒトラーは1929年にアメリカで起こった株価大暴落を決起に起こった世界恐慌に対して1933年にドイツの首相になると一気に対策を行っていきアウトバーンを建設。公共事業を増やしてドイツ国内の失業問題を解決させます。さらにヒトラーは国民車構想を実施。今もドイツの代表的な車であるフォルクスワーゲンをこの時創始してドイツの経済を一気に立て直しにかかりました。さらにヒトラーは自身が率いるナチ党の勢力拡大のために国会議事堂が燃えた事件が起こった時には共産党員を逮捕して、さらにその直後に全権委任法が成立。ヒトラーに逆らえなくなってしまいヒトラーによる独裁が確立されました。

こんな強引な独裁でも国民の不満が出なかった理由はやはり『ヒトラーがドイツの経済を立て直したこと』『ヒトラーが社会保障を充実させて失業問題を解決したこと』があったためでした。

国民からすればいくらユダヤ人が目の敵にされても自分は関係ないからと思ってしまったのですね。

第二次世界大戦の始まり

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こうして国民の支持を受けたヒトラーでしたが、その後急激にその野心を表していくようになります。1936年にはヴェルサイユ条約を破棄。ドイツが軍を入れてはならなかったラインラントに進駐して一気にヨーロッパに緊張が走ります。さらに1938年にはオーストリアを併合。さらにチェコスロバキアのズデーテン地方も割譲させて一気に領土を拡張させていきます。そしてさらに1939年にはチェコスロバキアを完全に占領。ソ連と独ソ不可侵条約を締結してついに戦争ムードに突っ走っていくようになります。

でも考えてみてください。この時のドイツは東に向かって領土を拡張していますよね?実はこれには訳があってヒトラーという人物は『東方生存圏』という「ドイツ人は東の方に領土を増やしてドイツを生存させるんだよ!ロシア人?あんな人種ウラル山脈以東に追っ払って潰してしまえ‼︎」みたいないかにも無茶苦茶な思想を持っていたのです。

こうしてヒトラーはどんどん東に向かって領土を拡張していきましたが、ポーランドに領土割譲を要求するとなんとポーランドがそれを拒否。「そっちがそうならやってやろうではないか!」とヒトラーはポーランドに侵攻を命令。ついに21年目にして再び世界は戦争に巻き込まれていったのです。

第二次世界大戦のドイツ

ドイツ軍はポーランドをボコボコにして占領すると、軍を一気に反転。ポーランド侵攻の時にドイツに宣戦布告していたフランスを一気に叩きにかかります。この時のドイツは第一次世界大戦みたいに持久戦には持ち込まず、戦車と飛行機によって一気に攻めにかかる電撃戦という戦法を使っていました。この電撃戦はフランスをたちまち壊滅に追い込み1940年にはパリを占領。フランスを降伏に追い込んでさらにイギリスにも空襲を行なって攻撃していきます。

しかし、ヒトラーの最終目標はイギリスの降伏でもなく世界の占領でもなくソ連の降伏でした。ヒトラーはどんなに軍に反対されてもこれを押し切ってしまい、1941年6月についに世界最大の戦いである独ソ戦が始まりました。独ソ戦は最初は赤軍がソ連の指導者であるスターリンによって壊滅に追い込まれたこともありドイツが有利でしたが、1943年のスターリングラードの戦いでドイツが決定的な敗戦を喫してしまうと戦況ば逆転。1942年にはアメリカも参戦してしまいドイツは再び挟み撃ちの状態になってしまいます。こんな状況でドイツは勝てるはずもなくドイツは1945年に敗戦。ヒトラーは自殺してしまいドイツはこうしてソ連とアメリカとイギリスとフランスによる占領に追い込まれしまいました。

2つに分けられたドイツ

第二次世界大戦に敗れたドイツは4カ国によって分割占領。1949年にはアメリカ・イギリス・フランスの占領地域に西ドイツ、ソ連の占領地域に東ドイツが建国されドイツは2つに分断されます。さらにドイツは1961年から西ドイツの飛び地でもあった西ベルリンを取り囲むようにベルリンの壁を建設。ベルリンの壁はその後この頃世界で巻き起こっていた冷戦の象徴となり、西ドイツは奇跡的な復興を成し遂げ世界第3位の工業力を持ったものの、東ドイツは『社会主義国家の優等生』と呼ばれていたものの経済の低迷が進み1980年代後半になると国民の不満が急激に膨れ上がることになります。

分断からの統一【そして現在】

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こんな状況の中でソ連はペレストロイカを実施。ソ連は一気に民主化していき東ドイツは一気に崩壊し、1989年には冷戦の象徴であったベルリンの壁が崩壊。1990年にはドイツは45年ぶりに再び統一され現在に至っています。

ドイツという国はまさしく分断と統一の繰り返しとも呼ばれる国家であり、2度の世界大戦を引き起こしましたが、ドイツの高い工業力と国民性もあって今ではそれを乗り越えて世界有数の先進国の一つとなりました。ドイツは日本と国民性が似ているとよく言われており、ドイツの歴史を学べばちょっとはドイツのことに詳しくなれるのかもしれません。

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