ヨーロッパの歴史

金融の力でヨーロッパを動かしたユダヤ人出身の名門「ロスチャイルド家」を元予備校講師がわかりやすく解説

南フランスのプロヴァンス地方に位置するサン=ジャン=カップ=フェラ。この町の高台に豪華な別荘があります。この別荘はヨーロッパ随一の大富豪として名を馳せたロスチャイルド一族が所有していました。豪壮華麗な別荘は、ロスチャイルド家の繁栄を今に伝える貴重な建物です。金融業で財を成したロスチャイルド家は、フランクフルト、ナポリ、ウィーン、パリ、ロンドンに一族を住まわせ、国際的な金融取引を行い繁栄しました。今回はロスチャイルド家について、元予備校講師がわかりやすく解説します。

ヨーロッパのユダヤ人

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Richard Westall – Folger Shakespeare Library Digital Image Collection http://luna.folger.edu/luna/servlet/s/s4j2a2, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

英語名でロスチャイルド、ドイツ語名ではロートシルト、フランス語名ではロチルドとよばれるこの一族は、ヨーロッパで長きに渡り差別され迫害の対象となったユダヤ人の出身でした。ローマ帝国によるイェルサレム破壊から世界各地に離散したユダヤ人が、ヨーロッパでどのように生きてきたかを知ることは、ロスチャイルド家を知る上で大前提となる知識といってよいでしょう。ユダヤ人のヨーロッパでの立場について、簡単にまとめます。

ユダヤ人のディアスポラ

紀元前1000年ころ、イェルサレムを中心としてヘブライ王国が建国されました。ダヴィデ王やソロモン王が有名な王国ですね。

ヘブライ王国滅亡後、ユダヤ人の国はイェルサレム王国とユダ王国に分裂。両王国が周辺勢力に滅ぼされたあと、ユダヤ人たちはハスモン家を中心にユダヤ王国を再建します。

ユダヤ王国はローマ帝国の宗主権を認め、自治を守りました。しかし、ユダヤ王国で反ローマ勢力が台頭すると、ローマ帝国は軍団を派遣しユダヤ王国を滅ぼします。

ローマ帝国との戦いに敗れイェルサレムが破壊されると、多くのユダヤ人は故郷を追われ各地を流浪しました。ユダヤ人がヨーロッパなど世界各地に離散したことをディアスポラといいます

7世紀に台頭したイスラム教では、ユダヤ教徒は啓典の民とされ、人頭税の納入と引き換えに信仰を許されました。イスラム教勢力の支配を認めることで、ユダヤ人は信仰と財産を守ったといっても良いでしょう。

ユダヤ人への迫害

キリスト教徒がユダヤ教徒を迫害する理由は、ユダヤ人がローマ人とともにキリスト殺害に加担したと見たからでした。

イエス=キリストの教えは従来のユダヤ教と異なっていたため、イエスの勢力が拡大するのを恐れたユダヤの領主ヘロデやローマの総督がイエスを十字架にかけて殺しますが、ユダヤ人たちはイエスを助けようとしませんでした。

このことから、キリスト教徒はユダヤ教徒を「キリスト殺し」の罪を背負う人々として忌み嫌うようになります。

11世紀に十字軍が始まると、イスラム教徒などとともにユダヤ教徒への迫害が強まりました。多くのキリスト教国では、ユダヤ人はキリスト殺しを行った忌むべき人々と認識され、土地の所有を認められません。そのため、ユダヤ教徒は農業ではなく商業で生計を立てるようになります。

ユダヤ人と高利貸し

土地所有を許されないユダヤ教徒は都市での商業に従事します。なかでも、金融業はユダヤ人の得意分野となりました。というのも、キリスト教では利子を取ってお金を貸すことを禁じていたからです。

金融業はお金を貸して利子を取ることが仕事なので、利子を取ることが出来ないキリスト教徒は営業できない業種でした。そのため、金融はユダヤ教徒の独壇場となります。

差別される立場でありながら財産をなすユダヤ人は更に偏見と迫害に見舞われるようになりました。シェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』に登場するユダヤ人の高利貸しシャイロックはとても残忍な人物として描かれます。

シェイクスピアに差別の意思が合ったかどうかはともかく、キリスト教世界におけるユダヤ人の見られ方が端的に現れていますね。

ロスチャイルド家の繁栄

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恵まれた立場とはいいがたいロスチャイルド家を一気に飛躍させたのはフランクフルトで古銭商人を営むマイヤー=ロートシルトでした。マイヤーはヘッセン方伯の信任を得ることで銀行家として飛躍します。マイヤーと息子たちはナポレオン戦争を絶好のチャンスとして一気にロスチャイルド家を飛躍させました。マイヤーの5人の息子はヨーロッパ5都市に分かれて事業を行い、財閥としてのロスチャイルド家を築き上げます。

財閥の基礎を築いたマイヤー=ロートシルト

1744年、マイヤーはフランクフルトにあるユダヤ人居住地区ゲットーで生まれました。彼の家は「赤い表札」の家に住んでいたため彼の一族はロートシルトと呼ばれます。転居した後も、マイヤーはロートシルトを家名として使いました。

父母を早くになくしたマイヤーは別のユダヤ人商人に住み込みで働き金融の実務を身につけます。古銭商人として独立したマイヤーは、顧客のつてでヘッセン方伯家の跡継ぎヴィルヘルムと面識を持ちました。

ヘッセン方伯家は領民を傭兵として外国に派遣し利益を上げています。マイヤーはヴィルヘルムの両替業務などを担当するようになりました。このほかにも、マイヤーはイギリス製品を取り扱うなどして順調に事業を拡大。1780年代にはかなりの成功をおさめます。

ナポレオン戦争とロスチャイルド家

1789年にフランス革命が勃発。革命の波及を恐れたヨーロッパ各国の君主たちはフランスに宣戦布告しました。ヨーロッパ各地が戦乱に巻き込まれる中、マイヤーと5人の息子たちは精力的に活動します。

戦争の混乱でドイツでは綿製品が高騰。これに目を付けた三男のネイサンは産業革命の成功により綿製品の大量生産が行われていたイギリスから綿製品を安く購入。ドイツで販売して莫大な利益を上げます。ネイサンはこの時の利益を元手にロンドンで金融業を始めました

フランクフルトがナポレオン軍に占領され、君主のヴィルヘルム9世が亡命したとき、ロスチャイルド家はヘッセン方伯家の債権回収を代行。ヴィルヘルム9世の許可を得て債権を元手に投資・融資を行いこちらも莫大な利益を上げました。

1806年にナポレオンが出した大陸封鎖令はロスチャイルド家にとってビックビジネスのチャンスとなります。ネイサンは独自の密輸ルートを開拓しイギリスから大陸諸国に物資を販売しました。

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