出陣時には豪傑たちの姿はなかった
諸葛亮は、蜀の建て直しをするための期間は長くかかってしまいました。そのために、人材の宝庫と言われた蜀も豪傑たちはいなくなっていたのです。関羽と劉備はすでに亡く、張飛は部下いじめがたたって、寝込みを襲われて亡くなります。趙雲は、優れた武将で人望も厚かったのですが、すでに魏討伐の時には老齢になっており、出陣することはできません。
諸葛亮は、自身で配下の若い将兵たちを率いて戦いに出ますが、蜀は諸葛亮の戦略に頼るばかりで、関羽、張飛といった敵を蹴散らす力を持った将軍はいませんでした。
諸葛亮の攻撃を食い止めた司馬懿仲達の逃げるが勝ち
諸葛亮率いる蜀軍の侵攻に対して、魏でも有力な武将はいなくなっており、誰を蜀と対峙させるのかで揉めます。諸葛亮の軍師としての評判は高かく、誰も貧乏くじを引こうとしなかったのです。結局、魏の朝廷から蜀と退治するように命じられたのは司馬懿仲達でした。彼の将軍としての資質は曹操は見抜いていましたが、警戒して重要な役職にはつけさせなかったのです。
司馬懿仲達は、攻める諸葛亮に対して、攻め疲れを誘う作戦に出ます。局地戦において蜀軍は勝利を続けますが、司馬懿は決して決戦となる戦いには出てきません。そして、長征によって兵糧(兵士の食料)が足らなくなった蜀軍は兵を引かざるを得ませんでした。
諸葛亮は2度にわたって魏の征伐軍を出しますが、司馬懿の持久戦にかかり、どんなに決戦を誘っても魏の軍は出てきませんでした。そして、2度目の戦いの中で諸葛亮は病死してしまうのです。
個々の戦いにおいては必ず諸葛亮は勝ちますが、魏軍は退きながらも、蜀軍を決定的に魏の広い領土を占領させることはありませんでした。三国志の中では、諸葛亮の天才的な采配がいろいろと書かれています。
しかし、結局、最後に勝ったのは司馬懿仲達だったのです。司馬懿は、蜀から投降した兵士から、諸葛亮は寝る間もなく働き続ける様子を知って、諸葛亮の命は長くないと読んでいました。そのため、決定的に負けなければ、必ず勝てることを知っていたのです。軍師としての大局の見方は諸葛亮よりも優れていたとも言えます。
それでも、諸葛亮の忠義心、誠実さは人々に尊敬され、今日でも第一級の人物として名を残しているのです。
現代に通じる信念を貫き通す諸葛亮の誠実さ
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三国志における最大の英雄と言える諸葛亮について、その生涯をエピソードを中心にご説明しました。
「出師の表」に見られる諸葛亮の信念を貫き通す生き方は現在の私たちに深い感動を与えてくれます。それが故に、現代においても諸葛亮の人気は高いのです。私たちがややもすれば忘れてしまいがちな人間としての生き方を思い出させてくれるからではないでしょうか。
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