三国時代・三国志中国の歴史

今さら聞けない「三国志のあらすじ」を5分で解説!登場人物・名言も知っておこう

さまざまな小説・コミック・アニメの題材になっている「三国志」。今や必須の教養とさえ言える作品ですが、興味がない人にはとっつきにくい印象があるかもしれません。そこで今さら聞けない「三国志」の世界の基本や、ビジネスにも役立つような知識をわかりやすくご紹介していきます。

実はとても身近だった「三国志」

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今では「Fate」や「モンスターストライク」などの人気ゲームにも「三国志」をモチーフとしたキャラクターが出てきたり、女性向けの漫画にも「三国志」を題材としたものがあったりしますが、「三国志」そのものを読んだことないという人は多いはず。確かに、難しい漢字の名前がたくさんで、興味がない人にとってはチンプンカンプンかもしれませんが、実は「三国志」というものには誰でも一度は触れたことがあるはずなんです。それはどこかというと、小学校の歴史の教科書だったりします。

「魏志倭人伝」は「三国志」の一部分

「魏志倭人伝」という歴史用語を聞いたことがあると思います。これは弥生時代の日本について書かれている中国の歴史書のことでしたよね。この本には、「邪馬台国」の女王・卑弥呼が中国に使者を送ったということが書かれています。

この「魏志倭人伝」というのが、実は「三国志」という歴史書の一部分なんです。これは、意外と知らなかったという方が多いんですよね。

当時、3世紀の中国は「魏(ぎ)」「呉(ご)」「蜀(しょく)」の三つの国に分かれていました。この時代を「三国時代」と言います。その三国の中で最も勢力が強かったのが魏でした。そこで国内の政治が不安定だった邪馬台国の卑弥呼は魏と外交を結ぼうとしたわけです。

この魏・呉・蜀の歴史を記録した書物が「三国志」なんですね。「三国志」は「魏志」「呉志」「蜀志」の三つに分けられていて、各国の数多くの人物について書かれています。つまり、教科書でおなじみの「魏志倭人伝」は、「魏の国の歴史書・倭人(日本列島の人々)についての伝記」という意味なんです。

日本列島では弥生時代だった頃に、中国では「三国志」の英雄たちが広大な大陸を駆け回り、さまざまな策略を張り巡らせて戦っていたと思うと、なかなか面白いですね。

日本で大ブレイクした「三国志」

でも、この「三国志」は中国の正式な歴史書で、あまりエンターテインメント性のある本ではありません。日本でも翻訳されているのですが、ちくま学芸文庫というお堅いレーベルに入っています。

現代の私たちがよく目にする「三国志」の物語はそれからずっと後の時代(明の時代)にできた、「三国志演義(えんぎ)」という中国の庶民的な歴史小説が元になったものです。この「三国志演義」は蜀の国の皇帝になった劉備(りゅうび)を主人公とした痛快な小説で、中国では「西遊記」「水滸伝(すいこでん)」などと並ぶ人気があり、文学としても高く評価されています。

この「演義」をアレンジして、日本の小説家・吉川英治が小説「三国志」を書いて大ヒット。さらに「吉川三国志」を土台にした横山光輝の漫画「三国志」やコーエーの歴史シミュレーションゲーム「三国志」シリーズなどによって若者たちにもなじみのある作品となったのです。

大河ドラマを凌ぐ雄大な歴史ロマン!「三国志」のあらすじ

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では、「三国志」のあらすじを見ていきましょう。場所は中国、2世紀末(西暦180年頃)から物語は始まります。
当時、長く続いた後漢(ごかん)の帝国は衰退して、世の中は荒廃していきました。そんな時代に、数多くの英雄が中国統一を夢見て戦ったというのが「三国志」の物語です。

あらすじ1~群雄割拠の時代の幕開け

後漢王朝の悪政によって庶民が苦しむ中、張角(ちょうかく)という人物が宗教団体を作り、反乱を起こしました。彼らは黄色い頭巾を巻いていたことから、この反乱は「黄巾の乱(こうきんのらん)」と呼ばれます。これによって中国全土は大混乱。都では董卓(とうたく)という豪族が実権を握りますが、とんでもない暴虐の限りを尽くし、酒池肉林の生活を送りました。

董卓に反発した各地の有力者たちは反董卓連合を作って戦いを挑みます。そしてついに董卓は絶世の美女・貂蝉(ちょうせん)を取り合って義理の息子である呂布(りょふ)と争い、殺害されてしまいました。

しかし董卓がいなくなっても中国大陸が平和になったわけではありません。各地で有力者たちが独立し、群雄割拠の時代となったのです。

あらすじ2~三人の英雄の登場

そんな中、頭角を現したのが中国の北部で勢力を拡大した曹操(そうそう)でした。頭脳明晰で、有能な人材を積極的に起用した曹操は、都の洛陽をはじめ黄河の北側をほぼ手中に収めます。曹操は自ら兵法書を書いた軍事の天才で、美しい詩を書く文才もありました。曹操の詩は現在でも高く評価されています。

そんな曹操のライバルとなったのが劉備です。劉備は漢の皇帝の末裔とされる人物で、関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)という豪傑と兄弟分になり、生涯変わらない友情で結ばれました。この誓いは桃園で行ったため「桃園の誓い(とうえんのちかい)」と言われます。長らくチャンスをつかめず、各地を流浪していた劉備でしたが、中国の真ん中にある荊州(けいしゅう)の新野(しんや)というところで城を構えました。

そして、中国大陸の南東、長江の流域で勢力を広げたのが孫権(そんけん)でした。反董卓連合軍で活躍した父・孫堅(そんけん)、若くして世を去った兄・孫策(そんさく)の後を継ぎ、勇猛な武将たちをまとめあげています。

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