日本の歴史昭和

サンフランシスコ講和条約とは?内容と領土問題をわかりやすく解説

サンフランシスコ講和条約とは、第二次世界大戦後に連合国と結んだ条約。これによって、日本は国際社会に復帰したわけですが、現在に残る様々な問題があるのも事実です。条約を結んだころの世界情勢を踏まえて、条約の内容や現在に続く領土問題などを見ていきましょう。

サンフランシスコ講和条約が結ばれた背景は?

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サンフランシスコ講和条約(サンフランシスコ平和条約)とは、1951年に第二次世界大戦の終結として結ばれた条約です。「ポツダム宣言とどう違うの?」と思われるかもしれませんが、ポツダム宣言は、日本の無条件降伏をアメリカ・イギリス・中国(中華民国)が単に求めたもの。サンフランシスコ講和条約は、第二次世界大戦に参加した連合国と日本の49ヵ国間で結ばれた戦争の終結を意味する条約ですね。

この条約によって、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下を離れ、日本は主権を取り戻し、国際社会に復帰することになるわけです。それでは、この条約が結ばれた背景から見ていきましょう。

冷戦で対立するアメリカとソ連、日本を資本主義陣営へ

第二次世界大戦で日本が降伏をした後、アメリカソビエト連邦(ソ連)は対立していきます。これが冷戦と言われるものですね。国々は、アメリカを中心とした資本主義陣営ソ連を中心とした社会主義陣営に分かれていきました。資本主義陣営は、西ヨーロッパ、つまり「西側」に集中、社会主義陣営は東ヨーロッパ、「東側」に集中していたため、東西冷戦という呼ばれ方もしていますよ。

さて、アメリカとソ連が直接戦争を起こすことはなかったので、冷戦という呼び名がつけられたのですが、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が争った朝鮮戦争は、この冷戦によってもたらされたものでした。こうして社会主義勢力の拡大を警戒したアメリカは、資本主義陣営に日本を組み入れる必要性を感じ、サンフランシスコ講和条約の締結を結ぶ準備を急ぐのですね。

「単独講和」と「全面講和」の意見対立

世界情勢は、アメリカとソ連を中心とする西側と東側の対立状態だったとお伝えしました。そんな中、第二次世界大戦終結の講和条約を、西側陣営・東側陣営のすべての国々と結ぶのは難しいと考えるのは当然ですよね。

そこで出てきた意見が、単独講和と全面講和という相対するもの。単独講和とは、資本主義陣営のアメリカとの条約を結ぶもの。資本主義陣営の他の国々とも実際は条約を結ぶことになるので、片面講和とも言われますね。一方の全面講和とは、社会主義諸国も含めて条約を結ぶというものです。主に、日本共産党の者などが全面講和を主張しましたが、時の総理大臣である吉田茂が押し切る形で条約を締結しました。

サンフランシスコ講和条約の主な内容を見てみよう

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サンフランシスコ講和条約には、どのようなことが記されているのでしょうか。
前文では、日本と連合国が平和と安全のに連携すること、戦争の問題を解決するために平和条約を結ぶということが記されています。また、日本側も国際連合憲章を守り、日本国憲法に則った新しい国づくりをするために努力するようにと書かれているんですね。それでは、項目ごとに内容を見ていきましょう。

第1章「平和」~戦争状態の終了~

第1章は「平和」についての項目。ここでのポイントは2つ。

・日本と連合国の戦争状態を終了する
・連合国は、日本国民の主権を承認する

ここで、第二次世界大戦の戦後処理が終了。そして、日本を主権国家として認めることを宣言していますね。

第2章「領域」~日本が戦争で得た領土や権利を放棄~

続いては、領土の放棄についての項目。

朝鮮の独立を承認、朝鮮に対する権利を放棄
台湾の権利を放棄
千島列島とポーツマス条約で獲得した樺太の一部、近隣諸島に対する権利を放棄
国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利を放棄、日本の委任統治下にあった太平洋の諸島を放棄
南極の権利を放棄
新南群島・西沙群島に対するすべての権利を放棄
南西諸島(沖縄など)・南方諸島(小笠原諸島など)をアメリカの信託統治制度の下に置く

信託統治とは、国際連合から依頼を受けた国が統治する制度のことを言います。こうして日本は、戦争によって得た領土や国際連盟で委任されていた権利を放棄しました。

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みほこ