第3章「安全」~集団的自衛権を持つことを承認~
続いては、集団的自衛権の項目。集団的自衛権とは、武力によって外国から攻められたとき、第三国と協力して自国を守る権利のことです。
・連合国は、日本が主権を持つ国として、個人的・集団的自衛権を持つこと、集団的安全保障条約を自発的に結べることを承認
・連合国の占領軍は、条約が発生したらすみやかに日本から撤退する。ただし、日本との協定によって自国の軍隊を日本に置くことは妨げない
連合国の軍隊の撤退についても、記されていますね。
第4章「政治・経済」~条約によって得た権利を放棄~
第4章は、条約によって得た権利の放棄です。
・連合国は、戦前に日本と結んだ条約を引き続き有効とする場合は、一年以内に通告をする。通告されなかった条約は廃棄される。
・1919年のサン・ジェルマン条約、1936年のモントルー条約、1923年ローザンヌ条約に基づく権利・利益を放棄
・ドイツとの間に得た権利や利益を放棄
・1901年の北京議定書から得たものを含め、中国の権利・利益を放棄
・極東国際軍事裁判所、連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾
第一次世界大戦では連合国側として参加して勝利、そこでいろいろな権利を得ていました。そういった権利を日本は放棄したんですね。
第5章「請求権・財産」~連合国側が賠償請求を放棄~
ここでは、連合国側が賠償請求権を放棄することが示されています。
・日本国は、戦争中に生じさせた損害と苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことを承認。しかし、現在の日本は、それを行うに充分でない。よって、別段の定めがある場合を除き、連合国は、すべての賠償請求権を放棄する。
・1945年のベルリン会議の議定書に基づいてドイツ財産の処分を確実にするために、最終処分が行われるまで保存と管理の責任を負う
放棄したのは、日本が損害賠償を支払える状況にないからという前提があっての上なんですね。そして条約は、第6章「紛争の解決」、第7章「最終条項」で締められています。
サンフランシスコ講和条約に関するさまざまな問題
サンフランシスコ講和条約が結ばれたことにより、第二次世界大戦が終了、戦後処理も終了と思われがちですが、すべて終了したわけではなかったんですね。条約に調印しなかった国々との問題、そして現在へと続く領土の問題が残ることになります。この章では、それらについて見ていくことにしましょう。
条約に調印しなかった国、会議に参加しなかった国
まず、会議に招待されたのに参加しなかった国は、インド・ビルマ・ユーゴスラビアの3ヵ国。
インドは、中国が会議に参加しないことや、外国の軍隊の駐留が認められることなどの条約内容に反対し、参加を見送ったと言われています。
続いて、会議には参加したけれども、調印しなかった国が、ソ連・ポーランド・チェコスロバキアの3ヵ国。
いずれも社会主義陣営の国々です。中国の参加がないこと、外国の軍隊、つまりはアメリカ軍が日本に駐留することに反対して調印しませんでした。
招待されなかった国は、中国。当時は、中華民国が社会主義の中華人民共和国に敗れ、台湾に逃れている状況。
アメリカは中華民国を招待することを提案するも、中華人民共和国の参加を求める声もあり、結局は招待しなかったのです。そして参加を認められなかったのが韓国。日本と交戦していないという理由でした。アジアの国々、特に中国と韓国が会議に参加していないというのは、後の外交問題にもつながる非常に大事な点です。
ロシア(旧ソ連)との北方領土問題
ソ連はサンフランシスコ講和条約に調印せず、また千島列島の範囲が明確となっていなかったことから、現在に続く北方領土問題があります。択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島がこの北方領土にあたるのですが、ロシア側は千島列島に含まれるため、自国の領土と主張、一方の日本は千島列島に含まないと主張しているんですね。ロシア側は色丹・歯舞の2島返還を提案するも、日本は4島の返還を求めているため、話は平行線となり、未だに平和条約が結ばれていないのですね。