始まりは神話の世界?神に捧げる競技祭・古代オリンピック
オリンピックには「古代オリンピック」と「近代オリンピック」があることをご存知ですか?「古代オリンピック」はその名の通り、今から3000年近く前に行われていたとされています。開催場所はもちろん、古代ギリシャです。古代オリンピックはいったい何の目的で、どのようにして始まったのでしょうか。オリンピックの起源について探ってみましょう。
オリンピックの誕生と4年に1度開かれる理由
エーゲ海の温暖な気候に恵まれたギリシア一帯には、およそ40万年前頃の旧石器時代から人の暮らしがあったといわれています。紀元前3000年頃には青銅器など道具を生み出す高い文明が芽生えていたと考えられており、紀元前8世紀頃には都市国家が誕生。芸術文化の面でも目覚ましい発展を遂げていきました。古代オリンピックはそんな中、紀元前9世紀頃に始まったものとみられています。
残念ながら最初の頃の記録は残っていないようですが、記録として残っている最初の大会は紀元前776年のもので「オリュンピア祭」「オリュンピア祭典競技」と呼ばれていました。これがオリンピックの起源と考えられています。オリュンピア(オリンピア)とは南部に位置していた古代ギリシアの都市の名称です。アテネから車でおよそ4時間ほど離れた、ペロポネソス半島の西側に位置します。1989年にはユネスコ世界文化遺産にも登録されました。
オリンピックがなぜ開催されるようになったかは、はっきりしたことはわかっていません。ただ、ギリシャ神話の中に、全知全能の神ゼウスの神殿をオリュンピアに建てて4年に1度競技会を行ったことが記されているのだそうです。始めたのがヘラクレスだとも、アキレスだという説もあり、戦争で死んだ者を悼むためであるとか、神に感謝の気持ちを捧げるためだともいわれています。
4年に1度行われた理由も諸説ありますが、古代ギリシア人が太陽暦と太陰暦の両方を使っていたことが関係している可能性が高いです。両方の暦は、だいたい8年周期で重っていたそうで、8年という年月はギリシア人にとって大変重要でした。これが後に半分の4年になり、祭の開催周期が4年になったと考えられています。
古代オリンピックで行われた競技とは?
オリンピックではどのような人物が参加していたのでしょうか。
初めのうち、オリンピックの競技は徒競走1種目だけだったようです。200m弱のコースを選手たちが走る様子を、周囲に用意されたベンチから見て応援する、非常にシンプルなイベントでした。参加者も、ギリシア人のみと限定されていたようです。
そして回を重ねるごとに、競技の数は少しずつ増えていきます。短距離走の他に中距離、長距離走も行われるようになり、速さだけでなくスタミナや駆け引きも要求されるようになっていきました。さらに、レスリングや円盤投げ、やり投げなどの競技も行われるようになります。毎回、かなりの盛り上がりを見せていたのでしょう。
余談ですが、神にささげる競技大会はオリュンピア祭の他にも行われていました。ただ、オリュンピア祭が最も盛り上がっていたといわれています。
<ギリシア四大競技大祭>
オリュンピア大祭(開催地:オリュンピア) 4年ごと 祭神:ゼウス
ネメア大祭(開催地:ネメア) 2年ごと 祭神:ゼウス
イストモス大祭(開催地:イストモス) 2年ごと 祭神:ポセイドン
ピューティア大祭(開催地:デルポイ) 4年ごと 祭神:アポロン
1100年以上続いた古代オリンピックはなぜ終わった?
古代オリンピックはギリシアの人々の間で大変人気だったと考えられています。
ギリシアにはいくつもの都市国家が存在しており、絶えず戦争が起きていました。しかし4年に1度のオリンピックの時期が近づくと、どの都市も武器を置き、オリュンピアに馳せ参じたのだそうです。
それほど注目されていたオリンピックですが、徐々に陰りが見え始めます。ローマ帝国という巨大勢力がギリシアを征服し、競技の開催自体が危ぶまれるようになったのです。ローマ帝国は強大な力を備えており、地中海一帯を征服して大国を築こうとしていました。
ただ、ローマ帝国の制服後も、オリュンピア祭は続いていました。ローマ人たちはオリュンピア祭に出たがり、オリュンピア祭を自分たち流にアレンジしていってしまいます。そのうち地中海全域から人が集まるようになって、少しずつ、大神ゼウスに捧げるお祭りの意味が薄れてしまうのです。
西暦393年、第293回大会を最後に、1100年以上も続いたオリュンピア祭(古代オリンピック)は終わりを告げます。それから1500年もの間、オリュンピアの競技場にギリシア人たちが集まることはありませんでした。
あのオリンピックを再び!近代オリンピックの起源とは
ゼウスを祭神としたオリンポスの丘の上の神殿で、神々に捧げるために始まった古代オリンピックですが、国同士の争いがもとで終了してしまいます。そんな競技会を、近代になって復活させようなど、誰が思いついたのでしょうか。時計の針を進めて、近代オリンピックの誕生の痕跡をたどってみましょう。
1500年の時を経て復活?近代オリンピック誕生秘話
最後のオリュンピア祭を境におよそ1500年間、オリンピックの火は消えたままになっていました。時は流れて19世紀末、フランスの教育者にて近代オリンピックの父と称されるピエール・ド・クーベルタンが口火を切ります。オリュンピア祭に関する記録に感銘を受け、近代オリンピックの開催を呼びかけたのです。
彼の呼びかけに大勢の人々が賛同しました。やがて国際オリンピック委員会(フランス語: CIO、英語: IOC)が設立されます。苦労の末、夏季オリンピックが1896年に開催されることとなりました。場所はもちろん、ギリシャの都市・アテネです。そして、同じく4年周期で冬季オリンピックも開催されることとなりました。
参加国は先進国を中心に14か国、参加選手は男子のみで240名余、種目は9競技、資金不足に悩まされ、アテネ大会は10日間と短い期間で行われましたが、それでも大会は大成功をおさめます。
「オリンピック」という名称はもちろん、オリュンピア祭にちなんでつけられたものです。