第二次世界大戦はどう推移していったか~戦争の行方を決めた激戦7選~
暗号を解読されていた日本軍
当初、戦力の上では日本側が圧倒的に有利でしたが、アメリカ側は情報分析能力に長けていました。暗号解読によって日本軍の攻撃意図を見抜き、既に万全の態勢で待ち構えていたのです。しかしそれでも空母の数では4対2と日本側に分があり、ミッドウェー島は日本軍航空部隊の猛烈な爆撃に晒されました。
しかしここで日本側に戦術上の齟齬が発生することに。再度、島を爆撃するために爆弾を飛行機に装着したところ、アメリカ空母発見の情報がもたらされたのです。ここで日本側司令官の南雲中将は「好機!」とばかりに付け替えたばかりの爆弾を外し、敵艦攻撃用の魚雷に再転換させたのでした。これが日本側の運命を決することになったのですね。
日本空母炎上
飛行機に魚雷を装着させて、いざ発艦しようとしたまさにその瞬間、上空の雲の切れ間からアメリカ軍の急降下爆撃機が一斉に襲い掛かってきたのです。爆発物とガソリンを満載した日本の空母(赤城、加賀、蒼龍)は一瞬にして炎上。あっという間に失われてしまいました。それでも残った空母「飛龍」は果敢にも反撃に出てアメリカ空母1隻を沈めますが、差し違えるかのように沈没。開戦以来、太平洋を我が物顔に暴れまわった日本機動部隊は壊滅したのでした。
ミッドウェー海戦は日本側の大敗北で終わりますが、結果はそれだけではありませんでした。大事な空母を失い、熟練搭乗員も失った日本側は、二度と大規模な攻勢に出ることが出来なくなったのです。
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#4 戦争の行方を決めた激戦その4.スターリングラード攻防戦
前年の冬に、モスクワの前面で大きな痛手を負ったドイツ軍。翌年の春になっても戦力を回復することはできませんでした。そこでヒトラーは大きな賭けに出ます。ロシア南部に展開しているドイツ軍を増強して南下させ、カスピ海沿岸にあるバクー油田を支配することでソ連軍への石油供給をストップさせ、さらに戦争を継続させようとしたのでした。
ドイツ側の誤算
1942年6月、「青作戦」と名付けれたドイツ軍の攻勢は当初は順調でした。しかし以前とは違った巧みな戦術を駆使するソ連軍に徐々に翻弄されることに。そしてスターリングラード付近に有力なソ連軍部隊がいることをつかんだヒトラーは、急に戦略方針を転換したのでした。「ドイツ軍を2つに分け、A方面軍とB方面軍とする。」A方面軍はバクーへ向かうものの、B方面軍にはスターリングラードの攻略を命じたのです。
スターリングラードを攻撃するドイツ第6軍(B方面軍所属)は、辛苦を重ねながらも市街地のほとんどを制圧。その作戦は成功したかに見えました。しかしソ連軍は大兵力による罠を張っていたのです。ソ連軍が搔き集めた兵力はざっと100万。それらが一斉にスターリングラードへ押し寄せ、ちょうど籠の中の鳥のように第6軍は包囲される羽目に陥ったのでした。
ドイツ第6軍の降伏
包囲されてしまった第6軍を救出するためにあらゆる努力が払われました。援軍であるドイツ第4装甲軍による救出作戦、そして空中補給作戦。しかしそれら全ての手段が尽きた時、第6軍の運命も極まることになったのです。更には天候までもがドイツ軍に追い打ちを掛けることに。冬の寒さと食糧不足がドイツ兵の体力を奪っていくことになったのでした。
そして翌年の1月、力尽きたドイツ第6軍は降伏しました。バクーの手前まで進撃していたA方面軍は急ぎ撤退したため事なきを得ましたが、包囲された30万のうち戦後ドイツに復員することができたのは、わずか5,000人。まさに悲劇だったのですね。この敗戦を機にドイツが再び大攻勢を掛けるだけの戦力はもはや残されていませんでした。
#5 戦争の行方を決めた激戦その5.Dデイとバグラチオン作戦
1944年6月、ドイツに対して最終的な決着をつけるため、フランス沿岸ノルマンディーとロシア中央部で、ほぼ同時に連合軍の大攻勢が開始されました。既に同盟国イタリアは降伏し、東部戦線でもソ連の圧迫に受け続けてきたドイツ軍は急速にその継戦能力を失っていくのです。