第二次世界大戦はどう推移していったか~戦争の行方を決めた激戦7選~
菊水作戦と沖縄守備隊の善戦
1945年4月に米軍が沖縄へ来攻して以来、菊水作戦と称した日本軍は、陸海軍問わず多くの特攻機を本土から発進させ、アメリカ軍艦船に自殺攻撃を繰り返しました。「カミカゼアタック」とアメリカ兵に言わしめたその戦いぶりは、彼らを震撼させはしたものの、戦局を覆すまでには至らなかったのです。特攻隊の存在については、現在でもその賛否が分かれているところですね。
陸でも熾烈な戦いが繰り広げられていました。海岸防備をあきらめた日本軍は内陸へアメリカ軍を引きずり込み、首里を中心とした縦深陣地を盾として根強く抵抗していたのです。ここでアメリカ側は多大な損害を強いられることに。
沖縄守備隊の全滅
しかし、補給のない日本軍は弾薬には限りがありました。どんなに頑張っても弾がなければ戦えない。そうして首里の陣地帯を放棄して、沖縄本島南部へと撤退していったのです。しかし、ここで沖縄県民までもが軍に付いて南部へ避難を行ったため、後に多くに悲劇が起こることになりました。県民の死傷者が最も多かったのは、この時期~守備隊玉砕までの間だと言われていますね。
果敢な抵抗を見せていた沖縄守備隊に最後の時がやってきました。本島南部の喜屋武岬まで追い詰められ、司令官牛島中将は自決。そして将兵も最後の抵抗を続けます。そんな中で「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊」など年端もゆかぬ子供たちの悲劇もありました。
戦後、沖縄は日本に返還されますが、いまだにアメリカの、そして戦争のくびきから逃れられてはいないのです。
戦争の悲劇を忘れないために
ここで解説したことは、あくまであらすじのようなものです。しかし、それぞれの戦場で苦しんでいたのは何も兵士だけではありません。まさにその時代に生き、暮らしていた国民なのです。戦後生まれが大半となった今、戦争による悲劇を繰り返さないためにも何ができるのか?考えてみるべき時なのかも知れないですね。
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