中国の歴史

盤古、神農、黄帝、日本ではマイナーな「中国神話」の神々を元予備校講師がわかりやすく解説

日本では、星占いが非常に盛んで、それに伴ってギリシア神話の神々の知名度は非常に高いです。それに比べ、隣国の中国の神話について知っている人はどのくらいいるでしょうか。知名度という点では、ギリシア神話よりもはるかに低いかもしれません。今回は、まだまだ知らない人が多い中国神話について取り上げ、中国人にとっての神様についてわかりやすく解説します。

個性的な中国神話の神々

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キリスト教の聖典である聖書。中でも、旧約聖書の冒頭にあるのが、神が世界をつくる天地創造の物語。中国神話においても、天地創造の物語が語られます。天地が生まれたのち、神々は様々な技術を人々に伝えました。しかし、他の神話の神もそうであるように、神は人に恩恵を与えるばかりではありません。時には容赦のないふるまいで人々を苦しめました。中国神話に登場する個性的な神々を見ていきましょう。

始原の巨人盤古(ばんこ)

人間の歴史よりはるか昔、この世は混沌として天も地も分かれず卵の中身のようにドロドロとしていました。混沌とした世界に盤古は生まれます。生まれた盤古は目を開けましたが、何も見えません。

息苦しさを覚えた盤古は、どこから取り出したのか斧をもってきて混沌を切り裂きました。すると、ゴウゴウという轟音が鳴り響き、天と地が分離し始めます。盤古の斧の一振りから天地が分離したことから、盤古開天といいました。

天と地が分かれ、圧迫感から解放された盤古は、天と地が再びくっつき、息苦しくなるのを嫌がります。盤古は自分の頭で天を、自分の足で地を支え天地がくっつかないようにしました

すると、天と地がどんどん離れていき、盤古の体もどんどん大きくなります。天地が分かれて一万八千年後、盤古は力尽きて倒れました。倒れた盤古の体から、太陽、月、風、雲、草木、海、山などあらゆるものが生み出されます。これが、中国の創世神話ですね。

人類を生み出した伏羲(ふっき・ふくぎ)と女媧(じょか)

伏羲(男神)と女媧(女神)は人類を生み出した神。彼らが人類の祖として描かれる神話は二種類あります。

一つ目は、女媧が泥をこねて人類を作ったというもの。丁寧に作り上げた人間は貴人となり、人類を作った泥の残りや飛沫から凡人が生まれたというものですね。

もう一つは、伏羲と女媧は兄妹で、この世を大洪水が襲ったときに立った二人だけ生き延び、それで人類の祖となったという伝説です。このタイプの神話は沖縄や中国南西部、台湾、インドシナ半島などに存在していますよ。

女媧を人類の祖とする話は、戦国時代に書かれた『楚辞』にもあるので、かなり古い時代に成立した神話なのでしょう。

伏羲は様々な文化を創り出した神として描かれます。で使われる八卦魚釣りなどを人々に教えました。武器の製造婚姻制度について定めたともいわれます。

医薬と農業を司る神農(しんのう)

神農は、炎帝神農神農大帝薬王大帝五穀大帝とも呼ばれ医薬と農業を司る神とされました。神農は木材を加工して農具を製作し、土地を耕して農耕を行うことを人々に教えたとされます。

前漢の時代に書かれた思想書『淮南子』によれば、神農は人々が手当たり次第に野草や貝類などを食べて病気になる姿を見ました。これではいけないと考えた神農は、食べられるものと食べられないもの、医薬に使えるものなどを分類し人々に教えます。そのため、神農は本草学(現代でいう薬学)の祖とされました。

神農は、毒があるかないかを自分で食べて確かめます。神農は手足と頭以外が透明で、外から内臓がはっきり見えました。もし、食べたものが毒なら、内臓が黒くなります。それを見て人々は、食べてよいかダメなのかを学びました。体を張った神農ですが、最後は断腸草という毒草をなめて亡くなります

神農は炎帝であるともされました。炎帝は五弦の琴の発明や、八卦を発展させた六十四卦の発明をします。

神農の子孫で戦の神となった蚩尤(しゆう)

蚩尤は神農の子孫で、人とは異なる外見を持った神。銅の頭に鉄の額、体は獣で四目六臂(目が四つあり、腕が六本ある)でした。ほかにも、頭は牛だとか、角があるとか様々語られますが、いずれにせよ、「化け物」的な見た目ですね。

武勇に優れ、忍耐心もある戦の神として描かれた神で、後で紹介する黄帝と天子の座を争います。蚩尤は81人の兄弟と無数の魑魅魍魎を味方につけ、風雨や煙、霧などを巻き起こして黄帝の軍をさんざん苦しめました。

黄帝は「指南車」を発明し、正しい方位を探り当て霧を突破。魑魅魍魎が恐れる龍の角笛を鳴らし、敵をひるませます。その隙に黄帝は蚩尤を捕えることに成功しました。軍神としても信仰され、日本では兵主神として祀られます。

蚩尤を討伐し、帝となって中国を統治した黄帝(こうてい)

炎帝神農の時代の後半、世の中が大変乱れます。中国の中央部にあたる中原(黄河流域から黄河と長江の間の地域)でも、炎帝にしたがない部族が現れました。黄帝は炎帝に従わない部族を次々と平定していきます。

長い戦いの中、中原は3つの勢力に分かれました。一つは、炎帝に直接従う者たち、もう一つは、炎帝と距離を置いた黄帝の勢力。もう一つは、炎帝と明らかに敵対する蚩尤の勢力です。黄帝は蚩尤と何度も戦い、最終的に蚩尤を捕えることに成功しました。

天下を統一した黄帝は、国を治める仕組みを作り、大臣たちを任命して国を治めます。さらに、の制定や、山川の鬼神をまつり、人々を落ち着かせました。黄帝は神農が始めた農耕をさらに進歩させ、米や麦、大豆の生産も奨励します。

黄帝は医学の発展にも努めました。佐藤製薬の「ユンケル皇帝液」は、黄帝に由来します。また、弓矢の発明者としてもされました。

漢字を生み出した蒼頡(そうけつ)

蒼頡は黄帝に仕える史官です。蒼頡の肖像画の目は、なんと4つ。普通の倍の目を描いた理由は、蒼頡が人並外れた観察眼を持っていたからでした。

蒼頡が漢字を作り出す前、人々は縄の結び目を利用して様々なことを記録します。ところが、記録が増え、縄の結び目がたくさん出来上がってしまうと、何が何を指していたのか分からなくなるという事態が発生しました。

何か良い方法はないかと思案する蒼頡。あるとき、老人たちが獣の足跡を見て、何の獣かを言い当てている場面に出くわします。それをみた蒼頡は、「モノと何かの記号を結び付けて、人々に伝えることができる」と気づきました。そして、生み出されたのが漢字象形文字)です。

最古の部首別漢字辞典である『説文解字』は、蒼頡が作り出した文字はすべて象形文字だったと記していますよ。蒼頡が漢字の生みの親であるという伝承は、戦国時代には成立していたようですね。

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