諸葛孔明の孤独の戦い
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諸葛孔明の魏を討つ遠征の時には趙雲は歳をとって参加できませんでした。その当時には、関羽も張飛も亡くなっており、趙雲も歳をとって参加できなかったのです。そのため、討伐軍を率いる孔明は天才的な策略を見せて部分的な勝利は得ますが、司馬仲達の粘りの戦略に魏の奥深くまで攻め込むことはできませんでした。
この辺りに、劉備玄徳と諸葛孔明の特徴がよく出ています。劉備玄徳はその人徳によって多くの豪傑武将が集まってきますが、作戦をたてる戦略家に恵まれませんでした。逆に、孔明は天才的な策略家ではあったものの、生真面目な性格が災いして誤解されることも多く、劉備のように豪傑武将に恵まれなかったのです。その点、曹操は、劉備ほどの度量もなく、孔明ほどの戦略もありませんでしたが、ある程度両方を備えていたために、三国志の中でも最も強い魏の国をいち早く打ち立てることができました。
ただ、曹操も、劉備も孔明も後継者や優秀な子供には恵まれず、結局、司馬仲達の子供たちに国を奪われ、中国を統一されてしまったのです。
魏、蜀に比べると物足りない【呉】の英雄たち
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呉の国は、中国でも南部に位置して、中原(ちゅうげん)と呼ばれる中国の中心から離れていたために、比較的三国鼎立の時代でも最後まで魏に抵抗しました。しかし、皇帝の孫権は、曹操ほどに図抜けた人間性もなく、多くの人材も持っていません。劉備のように人徳によって人が集まることもありませんでした。その点で、呉の英雄と言えば、やはり映画「レッドクリフ」でも孔明の好敵手として描かれていた周瑜です。トニー・レオンが好演していましたね。
負けず嫌いの英雄「周瑜」 呉を1人で支える
映画でも描かれていましたが、最後まで諸葛孔明を信用せず、劉備が去った後も、生涯蜀に対して敵対心を持ち続けていました。しつこく、負けず嫌いな性格だったようです。しかし、父孫堅、兄孫策を亡くした若い孫堅を支えたのは間違いなく周瑜でした。彼の武将としての能力と策略がなければ、呉は恐らく曹操の魏に飲み込まれていたでしょう。
その意味で、やはり、呉の最大の英雄は周瑜と言えるのです。
現代人が忘れてはならない諸葛孔明の誠実さ
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人気の三国志ですが、やはり日本人に一番人気が高いのは、誠実な義の人で、清貧だった諸葛孔明です。日本人が判官贔屓ということもあり、天才的な策略家としての人気もあります。決して主君を裏切らないロイヤリティ、義侠心は、NHKの「西郷(せご)どん」の西郷隆盛にも通じるところがあるようです。現代の利に聡い社会風潮の中では、見習うべき点と言えるでしょう。
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