老子は謎につつまれた人物
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老子は古代中国、春秋時代(紀元前770年〜紀元前403年)における思想家の一人です。生没年は不明。楚という国に生まれ、周という国で図書館司書の仕事をしていたと伝わります。老子という人物についての記事ではあるのですが、実は「老子が実在したのか」ということははっきりしていません。神話の登場人物であるとか、歴史上のさまざまな人物を合わせて作った概念的存在であるなどの説もあります。よって生没年も分からないのですが、前漢の時代に司馬遷(しばせん)によって著された歴史書『史記』によれば、老子は紀元前6世紀を生きた人物のようです。
孔子の思想が「儒教」となるのに対して、老子の思想は「道教」(「道家」もほぼ同じものを指します)として広まります。老子の名前そのままの書物『老子』(『老子道徳経』、『道徳経』とも)のなかに、「道教」の思想のもとになる教えが記されているのです。「道教」は英語で「Taoism(タオイズム)」と言い、海外でも人気があるそうですよ。
『史記』に見る孔子との関係
春秋時代のもっとも有名な思想家の一人である孔子。「仁」と「礼」などの思想は、日本にも大きな影響を与えました。『史記』老子伝には、そんな孔子と老子との交流(孔子が老子に教えを乞う話)について記述がありますが、老子が実在していたとしても、本当に二人に面識があったのか定かではありません。
そして孔子の考えをもとにした儒家の思想と、老子の説いた道家の思想とは対立するものです。儒家が大切にしている「仁義」や「忠臣」は、自然にまかせて生きる「大道(たいどう)」が廃れてしまった結果生まれたものだと老子は否定しています。
『老子』とはどんな書物?
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全81章で構成される『老子』。『道徳経』という別名の通り、上篇である「道経」と下篇である「徳経」とに分かれています。「老子五千言」という別名もあり、これは約五千字で成り立っていることからの呼び名です。旅に出た老子が関所を通る際、そこの役人に頼まれて著したのが『老子』だという伝説があります。
『老子』の根底に流れているのは、「無為自然」という考え。簡単に言えば、「あるがままな生き方」を説いた書物。これから紹介する老子の言葉は、その思想が感じられるものばかりです。
#1 謙虚に生きる姿勢!「其の光を和らげ、其の塵(ちり)に同ず。」
自分にすぐれた能力があったとします。しかしそれを周りにひけらかすようなことはせずに、普通の人たちのなかで普通に暮らす。人間には承認欲求や自己顕示欲がありますから、簡単なようで結構難しいのではないでしょうか。
自分のすぐれた部分を自慢するのはその場では心地よいかもしれませんが、相手の人に悪い印象をあたえてしまうこともあります。あえて光を弱くして、塵のなかに紛れる。自分を大きく見せず、謙虚に生きるというのは大事なことですね。
#2 自分は大きな器だろうか?「大器は晩成す。」
これがもとになった「大器晩成」は現代日本でもよく使われる四字熟語ですね。実はこの言葉、『老子』が出典だったんです。「立派な人間になる人物は、大成するのが遅くなるものだ」という意味があります。
ただ、「大器晩成」はもともと、現在のような意味ではなかったようです。もともとは「大きな器は晩成するから、現在においてその器は器として認識ができない」というような意味。こちらだと受け止め方が一気に難しくなります。さまざまな解釈が可能ですが、「のちのち大成するかもしれないのだから、今がんばろう!」と考えることもできますね。
#3 自分より他人を優先できますか?「人に与えて、己(おのれ)いよいよ多し。」
これは少し難しい『老子』の言葉のなかでも、分かりやすい言葉ではないでしょうか。人に自分が持っているものを与えれば、自分の心は豊かになる。物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさを大事にしているのが伝わってきますね。『老子』の言葉を聞かずとも、実践しようとしてきた人は多いかもしれません。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」にも、同じものが感じられるように思います。
すべてを人に与えるまではいかなくても、「人に優しくする」というのは今日からすぐにでもはじめられる心がけ。「奉仕」の精神で人も自分も豊かな生活を送れたなら、それはとても素晴らしいことです。
#4 芯をしっかり持ちましょう!「多聞(たもん)なればしばしば窮す。中を守るに若かず。」
「多聞」とは、勉強をしてさまざまな知識を身につけること。勉強自体はとても大事なことですが、学べば学ぶほどに固定観念にしばられてしまうことがあると『老子』では述べられます。「中を守るに若かず」は、「本当に賢いものは、学ぶほどに中になっていく」というような解釈。「中」になるとは、なにものにも左右されることのない状態になることを表しています。
勉強に限らず、職場などで人の悪口を聞いたときに「あの人はそういう人なんだ」と信じ込んでしまうことはないでしょうか。そんなときはこの言葉を思い出して、ちゃんと自分の目線でその人のことを見てみてください。