十字軍戦争の英雄サラディンとマムルークの関係
11世紀から12世紀にかけて、西ヨーロッパのキリスト教勢力がイスラム教徒から聖地エルサレム(イェルサレム)を奪還するとして十字軍運動を開始しました。地中海東岸地域にはエルサレム王国をはじめとする十字軍国家が成立します。
12世紀後半、エジプトのファーティマ朝の有力者として実権を握っていたのがサラディン(サラーフ=アッディーン)でした。サラディンは十字軍国家からエルサレムを奪還。再奪還のため遠征してきたイギリス王リチャード1世などと激しい戦いを演じます。
この時、サラディンの軍事力の一翼を担ったのがマムルークでした。サラディンが開いたアイユーブ朝において、マムルークは支配者であるスルタンの権力を支える存在となります。
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エジプトに成立したマムルーク朝
ヨーロッパのキリスト教徒が中東のイスラム世界に攻め込んでくる十字軍は、13世紀になっても継続していました。1250年、フランス王ルイ9世は中東のイスラム勢力の中心となっていたエジプトに攻め込んできます。
エジプトを支配していたアイユーブ朝ではスルタンのサーリフが急死し、混乱していました。そのため、サーリフの未亡人であるシャジャルを指導者として、サーリフの主力軍団となっていたマムルークたちが結束。ルイ9世の軍にマンスーラの戦いで勝利しました。
戦いの後、サーリフの子であるトゥーラーン=シャーがスルタンとなりましたが、マムルークと折り合いが悪く、クーデタで殺害されます。マムルークたちはシャジャルをスルタンとしました。のち、シャジャルはマムルークの一人と結婚し、マムルーク朝が始まります。
モンゴル人に勝利したスルタン、バイバルス
成立した直後のマムルーク朝は、権力争いが激しく、とてもまとまった状態ではありませんでした。マムルークたちが結束するきっかけとなったのはモンゴル人のフラグが西アジアに攻め込んできたことです。
フラグはモンゴル帝国の西アジア攻略部隊を率いて中東のイスラム世界を攻撃。バグダッドを攻め落とし、アッバース朝のカリフを殺害します。これに危機感を抱いたマムルークたちは一致団結してモンゴル軍と戦う準備を進めました。
1260年、フラグの部下がエジプトに攻め込んできます。この時、マムルークたちを率いたのがスルタンのバイバルスでした。モンゴル軍とバイバルスの軍はアインジャールートの戦いで激突し、バイバルス率いるマムルークたちが勝利します。
そのおよそ30年後の1291年、マムルーク朝は十字軍の最期の拠点であるアッコンを陥落させ、キリスト教勢力を西アジアから完全に追い出すことに成功しました。
マムルーク朝の滅亡とオスマン帝国支配下のマムルーク
モンゴル人の信仰を撃退し、十字軍勢力を地中海に追い落としたマムルーク朝は、イスラム世界の中心として繁栄します。首都のカイロは国際的な商業都市となり、アラビア海方面との交易などによって殷賑を極めました。
14世紀中ごろ、ヨーロッパで発生したペストが交易を通じてマムルーク朝エジプトにも流入。この影響で人口が減少しました。さらに、天候不順による凶作なども重なり、次第に弱体化していきます。
15世紀以降、イスラム世界で覇権を握ったのはオスマン帝国でした。1516年、セリム1世率いるオスマン帝国とマムルーク朝はマルジュ=タービクの戦いで激突します。
結果は、オスマン帝国軍の勝利でした。勝因はイェニチェリの鉄砲を中心とする火力です。銃火器の威力を存分に発揮したオスマン帝国軍は伝統的なマムルーク騎兵に勝利。マムルーク朝を滅ぼしました。
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マムルーク勢力の滅亡
マムルーク朝の滅亡後も、マムルークたちはエジプトの支配階級として力を維持し続けました。生き残ったマムルークたちは、オスマン帝国の県知事や代官として地方を支配し続けたからです。
16世紀になると、オスマン帝国のエジプト支配が緩み始めました。すると、マムルークたちはエジプト駐留のオスマン帝国軍と結びつき、地方での支配力を強めます。こうしたマムルークたちを滅ぼしたのがムハンマド=アリーでした。
ムハンマド=アリーはナポレオンのエジプト遠征で台頭した軍人です。彼は、マムルークの出身ではありませんでした。ナポレオン撤退後の混乱を収拾したムハンマド=アリーはエジプトの支配者にのし上がります。
1811年、ムハンマド=アリーは式典の開催を口実にマムルークたちを都に呼び寄せ、一網打尽にしてことごとく殺害しました。ムハンマド=アリーの大虐殺により、エジプトのマムルークは完全に滅亡します。
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