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ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」あらすじや名言、宗教事情を解説

読んだ人の人生を変える作家ドストエフスキー。「20世紀の預言書」とも呼ばれた作品群を残した19世紀ロシアの大文豪ドストエフスキーの集大成が『カラマーゾフの兄弟』です。一度読んでみたい!でも難しそう。長いし……。尻込みするあなたをこの記事が応援します。ドストエフスキーを愛してやまない筆者が作品のあらすじ、登場人物、時代背景や名台詞など一挙に紹介しましょう。

【あらすじ】『カラマーゾフの兄弟』

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人物とあらすじをたどりましょう。ドストエフスキー5大長編を読破した筆者が愛を込めて解説します。ドストエフスキー作品がおもしろくなるのは、上下巻組なら下巻から。上中下巻なら中巻の後半あたりからです。1回目は読み飛ばして2回目以降に伏線を確かめる、それくらいのユルさで進めるのがドストエフスキー攻略のコツですよ。さあカラマーゾフの世界へ。

放蕩者ドミトーリィ、冷徹なイワン、天使アリョーシャそして……

『カラマーゾフの兄弟』は三角関係の恋愛に殺人事件、社会問題まで。エンタメ要素炸裂の長編小説です。ドミトーリィ(ドミートリーとも。愛称ミーチャ)はフョードルの最初の妻との間の子供。従僕グリゴーリイとマルファのもとで幼少期を過ごし、その後亡き母親の親類に引き取られ軍隊に入ります。次男イワンと三男アレクセイ(愛称アリョーシャ。以下アリョーシャで統一)は2番目の妻との息子です。

この父親の地主・フョードルという男がくせ者。お金にがめつく色情狂。欲望全開で生きている道化です。過去には神がかり行者(聖痴愚とも)の女乞食を手篭めにして妊娠させたという疑惑すら持たれています。この時生まれたのがスメルジャコフ、フョードルの私生児として、フョードルのコックとして育つのです。

ドミトーリィ、イワン、アリョーシャ、そしてもしかしたらスメルジャコフ。3人兄弟と私生児1人がカラマーゾフの兄弟です。性欲が強くお金にがめつく、精神病的な傾向があり、人々に強いインパクトを与える彼らが躍動するこの物語はどんな小説なのでしょう?

父親殺しの予感

ズバリ金と女!長兄ドミートリィはお金と恋人をめぐって父親フョードルと対立します。自分のものであるはずの巨額の富を父にかすめとられたと周囲に訴えるのです。これに対してフョードルは徹底的に対抗します。さらに美貌の女性グルーシェニカを父子で取り合うのです。『カラマーゾフの兄弟』は金と色恋が原因で悲劇が起こる、昼ドラ真っ青の王道ドラマなんですよ。

グルーシェニカと結婚したいドミトーリィ。実は彼にはフィアンセがいました。その婚約者カテリーナに、弟イワンが恋をしたことからさらにこじれます。ドミトーリィはイワンにカテリーナを譲り、自分は父を押しのけてグルーシェニカと結婚したいと願うのです。もう、めちゃくちゃですね。こんな状況のカラマーゾフですが、3男アリョーシャは修道院に入りゾシマ長老のもとでキリスト教の修行を積みます。このアリョーシャが物語の主人公です。

フョードル・カラマーゾフとドミトーリィの父子はケリをつけるべく、話し合いを行うことになります。イワンやアリョーシャも立ち合い、つまり一族全員がそろっての話し合いが、アリョーシャのいる修道院で行われることに。しかしそこでのフョードルの振る舞いは……。絶対これは、事件なしではすみませんね。と全員に確信させることになります。そして人びとの予想通り事件は起こるのですが……。

ドミトーリィは殺したのか?

あんなクソ親父ぶっ殺してやる!と、酒の席で腹立ちまぎれにくだを巻く……。ドミトーリィの正直すぎる性格が見事に祟る様子が中盤以降の見どころです。ともあれドミトーリィは恋してやまないグルーシェニカを手に入れるべく奔走します。

鍵となるのが大金「3000ルーブリ」。ここの血まなこになったドタバタは実際に読んで味わってみてください。ともあれドミトーリィが大金を確保しようと焦るそんな中で、フョードルが殺害されます。それまでのあらゆる行動、あらゆる言動、そして物証が彼を犯人だと示していました。

ドミトーリィは裁判にかけられることに。この事件の前後、コックとしてフョードルの信頼を得ていたスメルジャコフは、次男のイワンを相手に謎めいたことを話します。これがイワンを追い詰めることになるのです。スメルジャコフの抱える秘密とは?追いつめられるイワンの行く先はどこなのでしょうか。さらにアリョーシャが果たさなければならない使命とは?濃すぎるキャラクターが繰り広げる、これは父親殺しの物語です。

カラマーゾフに学ぶ!いざという時使える便利な名言3選

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ここでちょっと寄り道。『カラマーゾフの兄弟』は名言オンパレードです!本編のあらすじをたどるのも兼ねて、紹介して参りましょう。時代を超えて現代の私たちを魅了するドストエフスキーの、やさしく激しい魂をかいま見ることができますよ。作中の会話文は原卓也訳(新潮文庫)から引用しています。

「そんな天国へのきっぷはつつしんでお返しするんだ」

ゾシマ長老のもとでのとんでもない家族会議が終わり、不吉な予感に満ちあふれた中を悲劇の回避のため奔走するアリョーシャ。その途中、次兄イワンと末っ子アリョーシャが宿命的な対談をした、酒場での会話(第5編「プロとコントラ」)での場面においてイワンが口にした言葉です。

イワンはインテリゲンチャのスマートな青年で、首都ペテルブルグで知識人たちと張り合うほどの知能と思想の持ち主。ドストエフスキー作品では「神」が非常に大きな存在感を占めますが、イワンは神による楽園の到来や救済を否定するのです。児童虐待や社会の闇に神の慈悲を感じることができない彼は、アリョーシャにこんなふうに言います。

そんな調和は、小さな拳で自分の胸をたたきながら、臭い便所の中で償われぬ涙を流して《神さま》に祈った、あの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ!(中略)俺は神を認めないわけじゃ無いんだ、アリョーシャ。ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ。

この後、世界文学史に名高い『大審問官』がイワンの口から語られるのです。子供たちの犠牲の上に成り立つ楽園、神の存在意義、そして教会や信仰への疑問などが深刻に語られる名シーンですが、決して難解ではありません。ドストエフスキーの語り口はハイテンションでキャラが立っているため飽きずに読むことができますよ!

楽園はどこに?「知りたいと思いさえすれば」

アリョーシャの敬愛するゾシマ長老は死にあたり、自分の一生を臨終の場に集まってくれた人たちに語りかけました。ゾシマ長老の兄は若くして亡くなりましたが、のちに聖者として讃えられることになる修道僧ゾシマ長老の信仰の原点となったのです。子供時代にゾシマ長老が見た死の床の兄は、人々に向けてこんな風に言いました。

泣かないでよ。人生は楽園なんです。僕たちはみんな楽園にいるのに、それを知ろうとしないんですよ。知りたいと思いさえすれば、明日にも、世界中に楽園が生れるにちがいないんです。

無神論や懐疑主義、ニヒリズムにこり固まっていたゾシマ長老の兄が死の病をえたことにともない、神の慈愛に目覚めていくという場面の美しいセリフ。こういうやさしい言葉と思想が、ドストエフスキーが今もなお多くの人の人生に影響を与えている理由です。

日本人が神という単語を聞くと、宗教で危なくてうさんくさい、というイメージが先に来るかもしれません。しかしドストエフスキーの「ゆるしの宗教」の世界観は、殺人鬼はじめ犯罪者、無神論者でさえもが神によって救われるというものです。ゾシマ長老の回顧録はロシア正教会のみならず、キリスト教の教会から非常に高い評価を受けています。

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