日本の歴史

鯉のぼりの由来は?なぜ「鯉」?端午の節句との関係もわかりやすく解説

5月の連休に入るころになると、あちこちで鯉のぼりを見かけるようになりますね。近年の住宅事情では、街中で大きな鯉のぼりを見る機会は少なくなりましたが、スーパーやコンビニの店先でベランダ用の小さな鯉のぼりが売られているのを見ると「今年もそんな季節になったのか」と心が和むものです。今回はそんな鯉のぼりの歴史や由来、鯉に込められた意味や思いなどについて考えてみたいと思います。

なぜ「鯉」なのか?鯉のぼりの概要と由来について

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4月下旬ごろになると、あちこちで見かけるようになる鯉のぼり。最近では、庭が狭いなどの理由から、鯉のぼりを飾るご家庭も少なくなっています。それを受けて、自治体などが中心となり、河川敷や商店街などにたくさんの鯉のぼりを掲げるイベントを行う地域も増えているようです。時代が変わっても多くの人に愛される鯉のぼり、どんな歴史や由来を持っているのでしょうか。

鯉のぼりとは何か?

鯉幟(こいのぼり)とは、端午の節句の時期に一般家庭の庭先などに飾られる鯉の形をした「のぼり」のことです。地域によっては「皐幟」「鯉の吹き流し」などと呼ぶこともあります。5月の連休の頃の日本の風物詩です。

一般的には、地面に杭を打って竿を立て、吹き流し(筒状の布・風向や風速を目視で測るための設備の総称)、黒い色の鯉、赤い色の鯉、青い色の鯉の順に上から掲げます。鯉の大きさは、吹き流しの下の黒い鯉が最も大きく、次に赤、青の順に徐々に小さくなりますが、ご家庭によっては、これに緑や紫などの小さい鯉を追加する場合もあるようです。

端午の節句、つまり現在の5月5日の頃は「五月晴れ」という言葉に表される通り晴れの日が多く、青空に清々しい風が吹き抜けます。5月は鯉のぼりを掲げるには最も適した季節といえるでしょう。

鯉のぼりとはもともと、一番上の黒い鯉だけだったのだそうです。ここに赤、青の鯉が加わり、鯉のぼりは家族を表すものとして掲げられるようになりました。つまり、黒い鯉は父親、赤は母親、青い鯉は子供を示しているのです。青い鯉の下に追加される緑や紫の鯉は弟・妹たちということになります。

1931年(昭和6年)に発表された『こいのぼり』(作詞・近藤宮子)という童謡の歌詞をご存知の方も多いでしょう。黒い鯉のことを「真鯉(まごい)」、赤い鯉を「緋鯉(ひごい)」と呼びます。緋鯉とは赤色や斑紋のある鯉の呼び名です。

【童謡『こいのぼり』 歌詞】
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

いつ頃からあるの?鯉のぼりの起源と歴史

鯉のぼりを掲げる習慣は、江戸時代から続いているといわれています。

江戸時代の暦(旧暦)の5月5日は、現代の暦に置き換えると6月の初旬になりますので、端午の節句は梅雨入りの後の雨の多い時期に行われていました。雨の合間に、男の子の健康と立身出世を願って紙や布に鯉の絵を描き、庭先に飾って家族で眺めたのだそうです。

現在の端午の節句は新暦5月5日に行われますが、地域によっては旧暦のまま、6月初旬に端午の節句を行うところもあります。

はじめに記したとおり、当初は真鯉のみを飾っていました。それが、明治から昭和にかけて徐々に変化し、黒赤一対で掲げられるようになり、さらに小さな鯉を加えて、家族全体で子供たちの成長を祝うものへと変わっていったのです。庭が広く、高い竿を立てることができるお宅では、7匹、8匹とたくさんの鯉のぼりを掲げることもあります。男の子の成長とともに毎年一匹ずつ小さい鯉のぼりを追加する、というお宅もあるそうです。

幟(のぼり)とは何?

幟(のぼり)とは旗の一種です。平安時代以降、戦場で武士たちの士気を高めたり、敵味方の区別を行うために掲げた縦長の流れ旗が起源といわれています。

鎌倉・室町と時代が進み、本格的な武士の時代の到来とともに幟も発展し、家紋などを入れ、どの武家でも自軍の幟を作るようになりました。はじめのうちは様々な形の幟があったようですが、次第に形式が定まり、大きさはおおよそ高さを1丈2尺(約3m60cm)、幅を二幅(約76cm)前後が主流に。幟は日本の軍旗として定着していったのです。

明治時代以降は、幟は主に宣伝・広告用の旗として活用されるようになりました。大相撲の会場に力士の四股名を描いた鮮やかな幟や、歌舞伎や寄席、芝居小屋で役者の名前を入れて掲げたものなどが有名です。また、商店街やスーパー、コンビニ、駐車場、寺院や神社の境内、選挙のときにも幟を作成して掲げることがあります。

現代でも、幟は基本的に縦長のものが主流です。鯉のぼりは「のぼり」と付いていますが、筒状に作成して風をより多く通すところから、旗というよりは吹き流しに近いものとされています。

戦場に掲げられた名誉ある幟と、男の子の成長を願って飾る鯉の吹き流し。長い時を経て、この2つが混ざり合い「鯉のぼり」と呼ばれるようになったのでしょう。

なぜ「鯉」なの?

鯉のぼりの習慣は、江戸時代の裕福な家庭で始まったといわれています。

この頃の商人は、経済的に豊かであっても地位は低く、武士より下に見られていました。そのせいもあって、武士を模した猛々しい武具などの装飾品を好んで飾る傾向があったようです。鯉のぼりについても、はじめは幟旗や五色の吹き流しなどを掲げていたものが、徐々に鯉の絵柄に変わっていきました。

なぜ鯉なのかというと、それは中国の「竜門」という言葉からきています。

「竜門」は後漢書(25年~220年にあった後漢という中国王朝のことを記した歴史書)の中の「李膺伝」に記されている故事です。李膺とは後漢時代の役人で、地位や身分に関係なく役人たちの横暴を正す実力者であったと記されています。李膺に認められるということは、出世を約束されたも同じ、と考えられていたようです。

中国大陸を流れる黄河の上流の竜門山にある渓谷は、川幅が狭く流れが急な場所でした。多くの魚がこの急流を登ろうと川を上がってきますが、登りきることができたのは鯉だけだったと伝わっています。竜門の急流を登り切った鯉は龍になるといわれており、立身出世のための狭き門のことを「登竜門」と呼ぶようになりました。

この故事から、江戸の裕福な庶民たちは、男児たちの出世を願って鯉のぼりを掲げるようになったのです。

端午の節句とは?鯉のぼりにまつわるおすすめイベントも紹介!

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子供たちの成長を願って掲げる鯉のぼり。端午の節句の時期には、各地で様々な行事も行われます。初夏の日差しを浴びて悠然と泳ぐ鯉のぼりを見るのはやはりいいものです。次に、端午の節句の過ごし方や鯉のぼりの飾り方、おすすめのイベントなどをご紹介します。端午の節句をご家族で過ごす際の参考になれば幸いです。

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