武家社会の慣習と道徳を記した51条の条文
武家諸法度は全部で51条の条文から構成されています。
全文を通してベースとなっているのが、武家社会の基本的な慣習と道徳。まずこれらをしっかり守ることで、武士たちを守り、まとめ上げることを目的としています。
文体も、それまでの公家用の小難しい書き方ではなく、分かりやすく簡潔な書き方を採用。御成敗式目制定を前に、泰時は公家用の法律を熱心に研究したと伝わっています。
ただし、武士のための法律といっても、必ずしも武士に有利な法律というわけではありません。トラブルの当事者が武士であってもなくても、公正な裁きが下るように作られています。
51という数は、飛鳥時代に聖徳太子によって制定された「十七条の憲法」に由来(17の倍数)。そう聞くと一層、ありがたみが増すというもの。武家びいきではなく、公明正大であること。これも、御成敗式目の重要なポイントと言えそうです。
話は少しそれますが、似たような名前の法律に「武家諸法度(ぶけしょはっと)」というものがあり、御成敗式目と混同してしまう!という方もいらっしゃると思います。「武家諸法度」は徳川幕府が制定したもので、各大名たちが幕府に立てつかないよう、統率を図るための法律です。目的は少し異なりますが、武家社会のための法律という点では、御成敗式目の流れを汲んでいると考えてよいでしょう。
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1条・2条:神社や寺を大切にして
では、御成敗式目の内容について触れてまいりましょう。
冒頭を飾るのは「可修理神社専祭祀事」「可修造寺塔勤行仏事等事」という2つの条文。武士の心得として、まず神社仏閣を大切にし、神や仏を敬うべしと記されています。
神社や寺の建物をきちんと修繕し、お供物を絶やさず、常に神や仏に手を合わせて、お祭りを行い、昔からの習慣を大切にすること。自分たちの手に負えないようなことはすぐ幕府に報告し、怠けている僧侶がいたら即刻追放……。そんなことが簡潔に記されています。
3条~6条:守護と地頭の権限や幕府との関係など
次に記されているのが、守護や地頭の在り方についてです。
まず、「大犯三か条」と呼ばれる項目が記されています。
これは、守護の仕事は「大番催促」「謀反人の取り締まり」「殺人犯や罪人の取り締まり」の3つである、と、守護の仕事の内容や権限について記したもの。大番催促とは、朝廷警護を御家人に命じることです。
そして、これ以外は越権行為であり、守護が勝手な行動をとることを禁じる条文が続きます。
次に地頭たちの不正を取り締まるための条文が。「集めた年貢をちょろまかした地頭がいたら不足分をすぐ補い、これに従わない地頭はクビ」との記述があります。
こうした法律が念頭にあれば、ついつい出来心で懐に入れてしまっていた地頭たちの気持ちも引き締まるというものです。
そして次の条文では、この御成敗式目の適用範囲として「荘園や寺社などの裁判には幕府は介入しない」「荘園や寺社などのトラブルは、荘園の領主や管理者(本所)の推薦状がない場合は幕府では取り上げない」と続きます。
これは、御成敗式目があくまでも御家人たちのために作られたものであることを記す条文。武家社会のための法律であることが明確に記されています。
7条・8条:裁判の前提について
次に、土地に関する前提が記されています。
この後、いよいよ、土地に関する具体的な条文が続くのですが、その前に、まず大前提として大切なことを明記しておかなければなりません。
まず、源頼朝をはじめとする源氏三代将軍と、北条政子の統治時代に与えられた領地は、どんなことがあっても奪われることはない、と記されています。
源頼朝や北条政子の重要性がわかる一文です。
頼朝や政子が治めていた時代に、戦で手柄を立てたり、将軍や幕府のために働いて評価され、拝領した土地は、その御家人が所有し続ける権利があり、どんな訴えを起こされても取り上げられることはないと明確に記されています。
9条~51条:具体的な裁判の手順・内容など
8条までの内容で、概ね、御成敗式目の全容が明らかになりました。
9条以降は、犯罪を犯した場合の対処や、土地に関する条項が続きます。
中には、謀反を起こしたり盗みを働いたり暴力をふるったり人を殺したときの条文もありますが、中心となっているのは、やはり土地に関する条文。単に土地の管理についてだけでなく、離縁した時の財産や相続に関する取り決めまで、具体的な事例に沿った分かりやすい内容になっています。
内容を見ていると、男性中心ではなく、女性のことも考えて作られた条文もちらほら。この時代はまだ、女性は自立しており、女性は女性としての地位があったのかもしれません。御家人のための法律を考えるなら、御家人の奥さんのことも考える必要がある……。ごく当たり前のことだったのでしょう。
御成敗式目の基本となる条文は以上の51条文ですが、制定後、例外的な事案が起きた時など、補足の条文が追加されることもありました。制定後もずっと、御家人たちのために柔軟に機能した法律であったとことが伺えます。