室町時代戦国時代日本の歴史

邪魔者は暗殺して排除!策略に満ち満ちた「宇喜多直家」の人生を解説

生きるか死ぬかの戦いを毎日のように繰り広げる戦国時代では、策略を用いて相手を暗殺したりワナにはめたりすることは当たり前のように行われていました。宇喜多直家(うきたなおいえ)は、その策謀の緻密さと冷酷さで敵を震え上がらせた武将です。親戚でも容赦しなかった彼は、どうしてそこまで徹底的だったのでしょうか?

放浪の少年時代から自力で出世の道を切り開く

直家の生まれた宇喜多氏は、優秀な祖父が暗殺され、父の代では没落していました。父と共に放浪していた直家ですが、やがて自力で才能を発揮し、出世の道を切り開きます。ただ、それは同時に直家の暗殺と策略に満ちた人生の始まりでもありました。

祖父を暗殺され、父と苦難の放浪生活

享禄2(1529)年、直家は宇喜多興家(うきたおきいえ)の子として誕生しました。

宇喜多氏は、備前(びぜん/岡山県東南部、香川県・兵庫県の一部)の戦国武将である浦上(うらがみ)氏に仕えていました。直家の祖父・宇喜多能家(うきたよしいえ)は優秀な武将でしたが、同僚の島村盛実(しまむらもりざね)に攻め滅ぼされてしまいます。

跡を継いだ父・興家はそれほどの才能があったわけではなく、領地を奪われてしまい、幼い直家は父と共に流浪の生活に身を落とすこととなってしまったのです。その苦難の中で父は病死し、以後、宇喜多家の再興は直家にとっての悲願となりました。

祖父の仇を討ち、舅さえ策略にかける

成人した直家は、浦上宗景(うらがみむねかげ)に仕えるようになりました。初陣でさっそく武功を挙げて主の目に留まると、それ以降は出世の道を歩むことに専心します。

まず彼が行ったのは、いまだ浦上家で力を持ち、祖父の仇でもあった島村盛実を葬ることでした。直家は陰で動き、盛実に謀反の疑いがあるとして殺害したのです。

あっさりと祖父の仇を討った直家ですが、彼はもうすでに一流の策謀家となっていました。

次に彼が狙ったのは、舅である中山信正(なかやまのぶまさ)。信正は直家の力と内に秘めた野望を見抜いていたため、敵にだけはなるまいと娘を嫁がせて姻戚関係を築いていたわけですが、直家は親戚という形式に縛られるような男ではありませんでした。

そして信正は島村盛実と同様、謀反の疑いをかけられて直家に殺されてしまったのです。

この2人の殺害劇は、なんと同じ年に起きた事件でした。直家の底知れない恐ろしさを感じますよね。

敵の弱点を突く:美少年を送り込んで暗殺させる

直家の次なるターゲットは、穝所元常(さいしょもとつね)という敵将でした。彼は、直家の主である浦上宗景と対立していた松田氏の重臣で、勇猛果敢な武将として名を馳せていたのです。

これに手こずった直家は、一計を案じます。元常が美少年を好むという話を聞きつけていた彼は、自分の小姓を送り込んだのでした。

そしてこの小姓がすぐに元常に気に入られ、そばに仕えることを許されるようになるのですが、すぐさま隙を見て元常を暗殺させてしまったのです。

この話はあくまで逸話であり、事実は毛利氏による話ともされていますが、直家の策略のスタイルを知る上ではとても参考になると思いますよ。

暗殺街道を邁進!次々と敵を葬り去る

image by PIXTA / 45081989

浦上宗景の信頼を得ていた直家は、次々と敵を策略によって滅ぼしていきました。その中には、娘が嫁いだ相手までもが含まれていたのですが、直家は意に介しませんでした。その一方で、彼は家臣に対しては細やかな気遣いを見せ、それが彼の力の原動力となります。二面性を併せ持つ直家の、まだまだ続く策略劇をご紹介しましょう。

日本初かもしれない、狙撃手を雇っての暗殺

直家の領地にたびたび侵攻してきた三村家親(みむらいえちか)という武将がいました。彼もまた勇猛で、直家は何度か敗れており、さすがに正攻法では無理と判断したようです。

そこで直家が取った行動は、旧知の仲で浪人中だった遠藤兄弟に、三村家親の狙撃を依頼することでした。

遠藤兄弟は火縄銃の達人でしたが、同時に短筒(たんづつ)と呼ばれるピストルのようなものの扱いにも長けていたそうです。

そして彼らは直家の依頼を受け、家親らが軍議を開いていた寺に忍び込み、見事暗殺を成功させたのでした。

このような火縄銃を使っての暗殺は、戦国時代では最初の事例だったとも言われています。

また、遠藤兄弟は当初、暗殺の成功などみじんも予想しておらず、死を覚悟していました。そのため、直家に家族のことを頼みたいと申し出、直家もそれを快諾していたのです。生還した兄弟を直家は快く家来として迎え、主としては良い主だったことをうかがわせています。

娘の嫁ぎ先を滅ぼす

直家の策謀がもっとも冷酷非情な形で表れたのが、浦上氏と敵対していた松田氏を滅ぼした時のことでした。

松田元輝(まつだもとてる)・元賢(もとかた)親子は、浦上氏にとっては目の上のたんこぶのような存在だったのですが、直家は自分の娘を元賢に嫁がせ、和睦を結びます。また、松田氏の重臣・伊賀久隆(いがひさたか)には妹を嫁がせて関係の強化を図りました。

ただ、直家が他の勢力と交戦した際、松田氏が援軍を送らなかったことで、両者の関係は微妙なものとなっていきます。

そして直家は、「鹿と間違えた」と称して松田氏の家臣を射殺し、揺さぶりをかけました。

また、松田親子と不仲になっていた伊賀久隆をひそかに寝返らせると、松田氏の居城を攻めたのです。

こうして松田親子は討死を遂げ、松田氏は滅亡しました。元賢の妻となっていた直家の娘は、夫の死の報せを聞くや自害して果てたそうです。何とも冷酷な仕打ちですが、これが戦国時代と言ってしまえばそれまででした。

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