軍人皇帝時代
235年、ゲルマン人と戦っていた皇帝セウェルス=アレクサンデルが暗殺されます。軍人達は自分達の皇帝としてマクシミヌスを選びました。
マクシミヌスは属州の下層農民出身の軍人で騎士階級になった人物です。軍隊経験は長いものの、政治家としての経験は皆無でした。そのため、元老院の中でマクシミヌスのことを知っている人物は誰もいなかったようです。
235年から285年まで、軍人達がローマ皇帝位を左右したことから、この約50年間を軍人皇帝時代と言います。軍人皇帝時代は帝位が不安定な時代で、50年間で18人もの皇帝がかわるがわる即位しました。
軍人皇帝時代の混乱を収めたのが284年に即位するディオクレティアヌスです。軍人皇帝時代の間に旧来の勢力や元老院の力は低下していきました。
軍人皇帝時代を終結させたディオクレティアヌス
284年、皇帝に即位したディオクレティアヌスは、共和制の伝統にとらわれず、皇帝に権力を集中させました。ディオクレティアヌスによって始められた政治の仕組みを専制君主政(ドミナトゥス)といいます。皇帝が主人(ドミヌス)として国民を支配する仕組みですね。
ディオクレティアヌスは帝国再建のためには皇帝を神のように崇拝させ、権威を向上させる必要があると考えました。このとき、皇帝崇拝を拒否したキリスト教徒はディオクレティアヌスによって徹底的に弾圧されます。
また、ディオクレティアヌスは広大すぎるローマ帝国を一人の皇帝が統治するのは難しいと考え、帝国四分割統治(テトラルキア)を実施しました。ディオクレティアヌスの統治により、ローマ帝国の混乱は収束します。
キリスト教を公認したコンスタンティヌス
ディオクレティアヌスの引退後、四分割された帝国で内乱が発生しました。この内乱に勝利し、再び帝国を統一したのがコンスタンティヌスです。
コンスタンティヌスは帝国の統一を維持するには、信者数が増えているキリスト教を公認したほうが良いと考えました。313年、コンスタンティヌスはミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認します。325年に開かれたニケーア公会議において、コンスタンティヌスはアタナシウス派をキリスト教の正統派と位置づけました。
330年、コンスタンティヌスは都をビザンティウムに移します。以後、ビザンティウムはコンスタンティノープルと呼ばれるようになりました。
また、コンスタンティヌスはコロヌスとよばれていた小作人たちの移動を禁止。土地に縛り付けることで確実に税を取ろうとしました。移動を禁じられたコロヌスは中世ヨーロッパの農奴の原型となります。
帝国を最後に統一したテオドシウス
375年、ゴート族をはじめとするゲルマン人がローマ帝国領内へ移動を開始しました。378年、ローマ皇帝ヴァレンスはアドリアノープルで西ゴート族と戦い戦死します。このため、軍団長の一人だったテオドシウスが皇帝として即位しました。
テオドシウスは西ゴート族との戦いを有利に進め、講和に持ち込みます。さらに、ローマ帝国内の争いでも優位に立ち、388年にローマ帝国全土の支配権を握りました。
テオドシウスは帝国を結びつける精神的な支柱としてキリスト教に注目。392年に異教禁止令を出してキリスト教を国教化しました。395年、テオドシウスは帝国全土を統一支配するのはもはや不可能であると考え、帝国を二分し、二人の息子に分け与えます。
帝国の東西分裂と西ローマ帝国の滅亡
テオドシウスが死去すると、帝国はイタリア半島を中心とする西ローマ帝国と、ギリシア・トルコ・エジプトなどを中心とする東ローマ帝国に分裂します。経済的に豊かで、防御力が高かった東ローマ帝国に比べ、西ローマ帝国はゲルマン人の侵入で国力が衰退しました。
西ローマ帝国は406年の東ゴート族のイタリア侵入に始まり、409年にブリテン島を放棄、410年には西ゴート王アラリックのローマ略奪、フン人の王アッティラのイタリア半島侵入など次々と異民族に攻め込まれます。
476年、西ローマ帝国の傭兵隊長だったゲルマン人のオドアケルは西ローマ皇帝ロムルスをローマから追放。西ローマ帝国を滅亡させました。西ローマ帝国が完全に滅ぼしたのはオドアケルですが、それ以前に、西ローマ帝国はゲルマン人やフン人の侵入によって崩壊していたという見方もできるでしょう。
西ローマ帝国の滅亡と1000年生き延びた東ローマ帝国
西ローマ帝国が476年に滅んだ後も、東ローマ帝国は生き延びました。特に、6世紀中ごろに登場したユスティニアヌスはゲルマン系のヴァンダル王国などを滅ぼし、一時的に地中海支配を復活させます。その後、東ローマ帝国はビザンツ帝国とよばれ、1000年間にわたって存在しました。ビザンツ帝国は1453年にオスマン帝国によって滅ぼされます。帝国首都のコンスタンティノープルはイスタンブールと名をかえ、オスマン帝国の都として繁栄しつづけました。
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